「きゆるにい(消ゆる荷い)」の音変化。「ゆる」の子音は退化し「きゆる」が「く」になった。「きゆる(消ゆる)」は動詞「きえ(消え)」の連体形。「に(荷)」は特異感を感じる負担であり、この場合は共同体による負担たる損失や労苦であり、産物・採取物や労務の提供です。語尾の「い」は、「これを持(たも)ついは称(ほま)れを致し」(『続日本紀』宣命:これを保つそれ(者、あるいは事)は誉れを得るに至り)のように、「それ」のように、何かを指し示す指示代名詞のような「い」が古代にはあった(→「い」の項)。これは非常に古い表現です。「消ゆる荷」とは、荷ではなくなる荷、損失や労苦ではなくなる損失や労苦であり、「消ゆる荷い」とは、消える荷たる情況が進行するそれ、消える荷たる情況たるそれ、ということです。消える荷たる情況の進行たるそれ、とは、荷が荷ではなくなり、損失が損失ではなくなり、労苦が労苦ではなくなる生活、そうした生活をしている生活域・土地域です。そうした生活をしているそこでは荷(負担・損失・労苦)は幸(さち)に変わり、そこには幸福(さきはひ)がある。人は群れで生活する生物であり、荷とは群性生活する知的生命体たる人がその群れから離れた際に自己保存のために特異負担として負うものであり、その群れからの離脱は幸(さち)のためであり(→「に(荷)」の項)、その幸(さち)は自己に帰属するだけではなく群れにも帰属し、群れに回帰したとき荷は不要になりなくなる。荷は幸(さち)のためにある。あらゆる「に(荷)」が「きえるに(消える荷)」であるそれ、それが「消ゆる荷い→くに(国)」。そこでは労苦は幸福に変わる。労苦が幸福に変わらなかった場合、それは「くに(国)」ではないのであって、それは滅び去り永遠に地上に現れないか、あるいは消える。すなわち、歴史にも地図にも現れないか、あるいは歴史からも地図からも消える。
当初はある種の荷(負担)を「消ゆる荷い」→「くに」と表現し、それが負担を生み出す主体も意味するようになったのでしょう。「くに(国)」は、消える荷、という言葉がそうした共通の負担や労苦を負う共同体やその土地生活域を意味するようになったということです。そのあらゆる人がそうした「くに(国)」を負ったわけです。
ちなみに、「コッカ・コクカ(国家)」は19世紀にヨーロッパで生まれた見えざる存在であり、「くに(国)」ではありません。神名にある「国之常立(くにのとこたち)」は「くに(国)」の基底が発生したのであって「国家」の基底が発生したわけではない。
「次成神名(つぎになれるかみのなは)、國之常立神(くにのとこたちのかみ)」(『古事記』)。
「…すめろきの 神(かみ:可未)の命(みこと:美許登)の 聞こしをす 国(くに:久爾)のまほらに…」(万4089)。
「我(わ)が面(おも)の忘(わす)れむしだは国(くに:久爾)はふり嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ」(万3515:「しだ(之太)」は、そのとき、のような意。「はふり(波布利)」は、あふれわきあがり、のような意。嶺(ね)に湧き立つ雲、それが私のあなたへの思いです、ということ)。