◎「くづ(屑)」

「くちとゐ(朽ちと居)」。「と」は思念的に何かを確認する助詞。「くちとゐ(朽ちと居)→くづ」は、「くち(朽ち)」の状態では有るが消えていないもの。朽ちの残存物。作業において出、排出されたた材料不要部も言い、何の役にも立たない粗末なつまらないもの、という意味でも言われる。

「残一両四銖之中、三銖久豆(くづ)」(「正倉院文書」:「銖(シュ)」は量目単位。一斤=十六両(一両=十匁=二十四銖)=百六十匁=三百八十四銖。これは天秤秤(テンビンばかり)による重さの単位ですが、比較重量であり、何を計るかにより物理学的重さは異なった)。

「石ぐるまにのってあだぼれするは、男のくづの…」(「浄瑠璃」:「石ぐるまにのる」は丸い石を踏んで転倒するということであり、自分がどのようなものかを考える考えが足りなかったりし失敗すること)。

「屑 …………クヅ モノノカス…」(『類聚名義抄』)。

 

◎「ぐづ」(1)

「ギウヅ(牛頭)」。「ギウ」は「牛(うし)」の漢音。「ヅ」は「頭(あたま)」の呉音。牛の頭のようだ、の意。牛には鈍感(のろま)で鈍(にぶ)い印象があるのです。動作に外的知覚に対する反応性や俊敏性がひどく乏しかったり、判断がそのようであったりする。そうした状態であることを、二音重ねて「ぐづぐづ」とも言う。

「エそんならかうしてくれなさんせ マヅ(先づ)いやおあふは(否応は)ぐずにして」(「浄瑠璃」『忠臣金短冊(―こがねのタンザク)』:拒否するか応じるかは明瞭にせず曖昧にして)。

「ぐづぐづしてないで早く行きなさい」。

漢字表記は慣用的に「愚図」と書かれますが、これは当て字。この語に関しては語源説らしいものはないです。

 

・この語を語幹とする「ぐづり」という動詞がありますが、これは、元来は、全く理不尽な、理性的判断の成り立たない(つまり牛の頭のような)状態で不満を言い、言いがかりをつけ、難癖をつけ、何をどうしたいのか、何をどうしているのか、よくわからない状態になり、相手をそのような状態に巻き込み、そうした状態から逃(のが)れたいという思いにさせ、金品などを要求する(ゆすりとる)、ことを言った。「よふ聞け、其二人のやつおいらがいて(往て)ぐずりかけて(ぐづりをかけて)爰(ここ)へおこす(よこす)は。われが爰(ここ)に待伏(まちぶせ)して居て男めをぶちのめす…」(「浄瑠璃」『奥州安達原』)。

後世では「赤ちゃんがぐづる」という言い方が一般的なわけですが、何か不満を訴えているようだが、何がどうなっているのか、どうしたいのか、よくわからないというその状態が似ているのです。ゴロツキの場合は金品を与えれば帰っていきますが、赤ちゃんにはそれは無効です。

 

◎「ぐづ」(2)

「くちつ(朽ちつ)」。語頭の濁音化は持続感の表現。構成や機能が喪失していくような状態であること。酩酊することを「ぐづになる」と言ったりする。そうした状態であることを、二音重ねて「ぐづぐづ」とも言う。

「(荷物が崩れて)ぐづぐづになる」。