古くは「くたら」と清音でも言った。「くだら(百済)」は「くにつはら(国つ原)」の音変化。「つ」は空間的時間的同動・連動を表現する助詞。「はら(原)」は、「うなばら(海原)」にあるような、海洋表面の意。「くにつはら(国つ原)→くだら」は、国(くに:日本)と同動している海(うみ)、国(くに)の海(うみ)、ということであり、それほど馴染み深い良く知られた海、ということです。具体的には日本・北九州から対馬を経て朝鮮半島南端へ至るあたりの海域でしょう。そうした国の海たる、馴染み深い良く知られた海域にある地が「くにつはら(国つ原)→くだら」の地、国の海原の地、という意味でそう表現され、それが国(?~7世紀後半)の名にも発展した(朝鮮半島南西部)。ようするに「しらぎ(新羅)」とおなじように名が生まれている→「しらぎ(新羅)」の項。韓国語(朝鮮語)では「百済」は「백제(ペクツェー、のような音:「百済(ヒャクサイ)」の朝鮮(韓国)での漢字音。現代の中国語では、バイチー)」という。「百済(ヒャクサイ)」という表記そして表現(「伯済」「百残」とも書き、「十済」とも言う(昔は旧字で))は全体をまとめて出来上がったという意味でしょうか。

『日本書紀』継体天皇二十三年春三月にある「扶余」も古く「くだら」と読まれている。「扶余(フヨ)」は現在の韓国・忠清南道・扶餘郡あたり(満州方面の国の「扶余・扶餘」ではない)。ここは錦江(クムガン)があり、そのまま海につながっているような地であり、古来、日本との通行がある。