「けゐそ(異居そ)」。「けゐ(異居)」は、通常ではない、異常な、あるいは、非常な、状態、ということですが、語尾の「そ」は「しを(爲を)」であり、「いそいそ」「いそぎ(急ぎ)」「そそき(噪き)」などにある「そ」。「けゐそ(異居そ)→くそ」は、異常な、非常時的な、動態を促されている状態にあることを表現する。異常な、非常時的な、動態を促されている状態とは、便意を感じ、自然生理現象として排便を促されている状態です。つまり、「くそ」は便意を感じている状態を表現する。これが排泄行為をおこなうことを(→「くそする」)、さらにはそれによる(腸からの)排泄物を、意味するようになる。しかし原意としては、この語は、便意を意味し、排泄物自体は意味しない。人の主な排泄物には他に尿があるわけですが、腸からのそれの排泄に特別な意味性が生じたのは、その排泄物の視覚的な印象もあるであろうし、とりわけその臭気による社会的影響の強さが大きな要因となっているのでしょう。「次(つぎ)に屎(くそ)に成(な)れる神の名は…」(『古事記』)。

この(排泄物たる)「くそ(糞)」が、人が捨て去るつまらないもの、汚(きたな)らしいもの、として人その他の罵(ののし)りに用いられることもある。「くそうぬ」(「滑稽本」:糞(くそ)たるお前)。「むねくそ・むなくそ(胸糞)」。「ぼろくそ」。「くそバウズ(糞坊主)」は、出家し仏道修行しながら、優れた人間になるわけではなく、むしろ人間から出た廃物のような人間になっている僧、ということでしょうし、「くそぢぢい(糞爺)・くぞばばあ(糞婆)」も、何十年も長きにわたり経験を重ね日々さまざまな心情になり日々思考も重ねているはずの老人が、よりすぐれた人間になるわけではなく、むしろ人間から出た廃物のような人間になっている老人、ということでしょう(そうなってはいない老人もいることを前提の上で)。

 

「送糞、此(これ)をば倶蘇摩屢(くそまる:屎放る)と云ふ」(『日本書紀』:「倶蘇」と書かれるということは「くそ(屎)」の「そ」は甲類表記ということです)。

「屎 野王案糞 和名久曽 屎也 説文云屎 字亦作𡱁 ……大便也」(『和名類聚鈔』:「野王」は中国の書『玉篇』の編纂者・顧野王。「屎」の音(オン)は、シ。「くそ」の漢字表記は現代では「糞」ですが、古くは「屎」の方がむしろ一般的です。「屎」が人間のそれで「糞」はそれ以外の動物などのそれという違いがあったのかもしれません)。

「通 …トホル カヨフ……クソ…」(『類聚名義抄』:つまり「くそ(糞)」は「通」とも書く(体内を通(とほ)ってできたものだから)。いわゆる「おつうじ(御通字:これは、御通じ、ではないでしょう)」。「ツウ」は「通」の音(オン))。