「けゐさへ(異居障へ)」。「けゐ」が「く」の音(オン)になっている。「け(異)」、予想外・期待外の。「ゐ(居)」、あり方、たる。「さへ(障へ)」、障(さは)り、障害。「さへ(障へ・触へ)」は、違和感・異物感・障害感・阻害感を生じさせること。「け(異)」や「さへ(障へ)」に関してはその項。つまり、「けゐさへ(異居障へ)→くせ」は、通常ではない、日常経験にない、あり方(状態や動態)で、「さはり(障り)」になる、障害的抵抗を感じさせる、こと。「さはり(障り)」は、影響がさほどでなければ、気になること、といった程度、さらには、目につくこと、といった程度の意味ですが、そうとうに深刻な影響になる場合もある。気になること、や、目につくこと、といった意味では、「あの人は食べ物を見ると必ず匂いを嗅ぐ癖(くせ)がある」といったような、主体の特性的傾向という意味でも言われる。

「くせをつける」には二つの意味があり、一つは、何かに特性的状態や動態をつけること(→「寝る前に必ずビールを飲む癖がついてしまった(これは「つけ」ではなく「つき」)」)。いま一つはなにかに障(さは)りとなるなにごとかを認めること。現代ではこれは非難を意味する「難(ナン)」をつけ「難癖(ナンくせ)をつける」という言い方をする(古くは「難(ナン)」のつかない言い方もある)。

「くせもの(曲者)」や「くせごと(曲事)」は障(さは)りになる、障害となる、人や事(こと)ですが、「くせもの(曲者)」は単に、(ときには、すぐれた)特殊感のある、主体の特性的傾向のある者、変わり者、といった程度の意味でも言われますが、不審が強く、不審者、怪しい者、さらには正体の知れぬ化け物・奇怪なもの、という意味でも言われる。「くせごと(曲事)」は非難性が強い。

ある特に認められる状態や動態にありながら、という意味で「くせに…」という言い方もする。「扨又(さてまた)まづしい癖(くせ)に夥敷(おびただし)い子供で御ざって…」(「狂言」)。「さっきそう言ったくせに…」。

 

「院の尚侍(ナイシ:「内侍」の音(オン))こそ、今の世の(書の)上手におはすれど、あまりそぼれて(あまりにも書き方が崩れ)癖ぞ添ひためる」(『源氏物語』:文末の「ためる」は助動詞「たり」と「めり」)。

「…荒れたる宿のくせなれば、おろしこめても月は見えけり」(『頼政集』:常にそうである特性、のような意)。

「さしもあるまじきことに、 かどかどしく癖をつけ、愛敬なく、人をもて離るる心あるは、いとうちとけがたく、思ひぐまなき(深く行き届いた思いがない)わざになむあるべき」(『源氏物語』:この「癖をつけ」は障(さは)りとなるなにごとかを認める意味(「難癖をつける」の系統)ですが、「さしもあるまじきことに」は、そうでもあるまいことに(たいしたことでもないことに)、という意味省略的な表現がなされているのでしょうけれど、厳密には正確な言い方ではありません。「さしも」は否定がつけば「さしも深からざりけるをも、かたがたにつけて尋ね取りたまひつつ」(『源氏物語』:(思いや関係が)それほど深くもなかった人も…)といった用い方になり、そうでない場合は「わが身をさしもあるまじきさまにあくがらしたまふと、中ごろ思ひただよはれしことは」(『源氏物語』:あんなにもあるまじきさまに…。「あくがらし」は「あくがれ(憧れ)」の他動表現)といった表現になる。したがって、例文の場合は、正確には、さしもあるまじきことでもなきことに、といった表現になるはずです)。

「喜阿、音曲の先祖也。…………すみやき(炭焼)の能に………たききおひ(薪負ひ)、つえ(杖)ついて、はしなか(橋中)にてしはふきて(咳ぶきて)、『あれなるやま(山)人は、にかるきか(荷軽きか)、家ち(路)にいそくか(急ぐか)、あらしのさむさにとくゆくか(嵐の寒さに疾く行くか)、同じ山にすまい(住居)をなし、かさしの木(翳(かざ)しの木、であり家が隠れるような木?)をきれ(斬れ)とこそいふに、とくゆくか、かさ(重)なる山の木すゑ(末)より』、と一せい(声)にうつ(移)りしくせ物(曲者)也」(『世子六十以後申楽談儀』:この「くせ物」は、並ではない能力のある者、といったような意)。