◎「くすぶり(燻り)」(動詞)

「くすぼり(燻り)」の項・下記。

 

◎「くすべ(燻べ)」(動詞)

「くすみうめ(くすみ埋め)」。「くすみ」(下記)「うめ(埋め)」はそれぞれの項。「うめ(埋め)」は存在化させることであり、AをBに埋め、はAをBに存在化させる、逆の視点で言えば、BをAの環境にする、ということですが、Aをくすべ、すなわち、Aをくすみ埋める、とはどういうことかというと、Aを燃え上がってはいないが燃焼していること(→「くすみ」の項・下記)の環境下におく、ということであり、これは事実上「くすみ」の他動表現になるわけですが、Aを煙にさらす、という意味になり、比喩的には、(社会的に)Aを煙たい思いにさせる、のびのびと呼吸できないような思いにさせる、非難し責める、といった意味になり、また、直接には何もしなくても相手に嫌がらせのように煙をかけるという意味で、それとなく遠まわしに悪口や嫌味を言ったりすることも意味する。

「KUSUBE,-ru,-ta, クスベル, 燻,… To smoke, to fumigate.  Ka wo(蚊を) ―, smoke out musquitoes. Syn. FUSUBERU」(『和英語林集成』:「musquitoes(マスキート:蚊)」は「mosquitoes」の誤記と思われますが、原文でこうなっている。「fumigate」は煙でいぶすこと、燻蒸消毒すること)。

「寵愛深く思はれしを、常々、わるぎまはされ(意地の悪い気を回され:邪推され)、本町の小兵衛といふ小間物売りと密通したるとくすべられしに」(「浮世草子」『武道伝来記』)。

「姑(しうとめ)をくすべかへする蚊(か)遣(や)りかな」 (「俳諧」)。

「くすべ(燻べ)」に意味の似た語で「ふすべ(燻べ)」がある。

 

◎「くすぼり(燻ぼり)」(動詞)

「くすべふり(燻べ振り)」。「くすぶり」とも言う。「くすぶり」と「くすぼり」は同語の音変化であり、同語と言っていい。「ふり(振り)」は感覚的に何かを現すこと(感じさせること)を表現する。つまり「くすぼり(燻ぼり)」は、「くすべ(燻べ)」た状態になることであり、事実上「くすべ(燻べ)」の自動表現になる(つまり、「くすみ」(その項・下記)と同じ意味にもなる)。「くすみ」の状態が現されているということであり、奥に燃焼は感じられるが燃え上がりはせず不活性化している。炎が出ず燃焼し煙が出ること(「焚火がくすぶっている」「火事は鎮火したと言われたが、まだくすぶっていた」)。さらには、人の状態としては、内部では燃焼しているのだが炎はあがらず、燃焼は他者に認められ世の中に認められる状態にはなっていない。

「薫 クンス クスブル」(『色葉字類抄』)。

「KUSUBORI, -ru, クスボル, 燻, …To be smoked, smoky」(『和英語林集成』)。

「くすぶった茶碗がでた」(「洒落本」:煙でいぶしたような煤けた茶碗か、ないしは、どこかでくすぶっている人のような、風采のあがらない茶碗が出た)。

「仕官の口を探すが……心ならずも小生半年ばかり燻(クスブ)っている」(『浮雲』二葉亭四迷)。

「私のつらい事を御聞なされて下さりませ。どうした事やら、家内のものと、母との中がわるうござつて、日がな一日牛の角づき合ひ、内中がくすぼりますゆゑ…」(『鳩翁道話』)。

 

◎「くすみ」(動詞)

「けひしうみ(気火為倦み)」。「け(気)」は見えないが有ると感じられる何かであり、「けひ(気火)」は、「け(気)」たる火(ひ)、燃え、炎(ほのほ)が上がっているわけではないが燃焼が起こっていることは感じられる火(ひ)。「けひしうみ(気火為倦み)→くすみ」は、その「けひ(気火)」の状態で倦(う)んでいる、不活性化している、こと。奥に燃焼は感じられるが燃え上がりはせず不活性化している。不活性化しているのだが、奥に燃焼が感じられる。周囲を照らす炎はあがらず、明るさはとぼしい。そうである以上、色彩感もとぼしい。人がそうなっているとき、地味で生真面目な印象であったりもする。炎があがっているわけではないが燃焼しているこの語の事実上の他動表現「くすべ」、さらにその自動表現「くすぼり」「くすぶり」では煙の印象も明瞭に現れる。

「くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(もっともらしい顔をして) 何せうぞ くすんで 一期(イチゴ)は夢よ ただ狂へ」(『閑吟集』(1518年):内には熾(お)きのように火がありながら表からは見えないようにすることが品の良いこと、といった風潮を非難したということか)。

「人々見るとひとしく『あれこそかくれもない上手よ』と、土民のやうなる者ども指さす。『扨(さて)は我(わが)太鼓はよく人のほむるぞ』と思ひくすみ居たる所へ…」(『醒酔笑』:これは、内心は悦びで燃え上がりながら、それを現さず、重々しげな、もっともらしい顔をしていた)

「Kusumi, ―mu,―nda, クスム, i. v.  To be quiet, grave, sedate or dull in manner ; to be plain and simple, but rich, and chaste, as a color ; to be without ornament but valuable and rare. Kusunda nari wo shite iru hito(くすんだ態(なり)をしている人)」(『和英語林集成』:静か、厳粛で、落ち着いている、またはぼんやりとして鈍い; 平坦単純だが、色としては豊かで簡素; 装飾はないが、貴重で珍しい)。

 

つまり、「くすみ」を基本として、その事実上の他動表現として「くすべ」があり、その自動表現として「くすぼり」「くすぶり」があるということです。