◎「くすぐり(擽り)」(動詞)

U音の動態感による「こそぐり(擽り)」の母音変化。「こそぐり(擽り)」は下記。

「KUSUGURI,―ru,―tta. クスグル, t.v. To tickle. Hito wo kusugutte warawaseru(人をくすぐって笑わせる), to tickle a person and make him laugh(人をtickleし笑わせること。Tickleは手や羽などで軽く触れこするようにすること)」(『和英語林集成』)。

 

◎「こそぐり(擽り)」(動詞)。

「こそ」は「こそ」の項(下記:そこにある「かさ」の母音変化たるそれ)。これが擦過感を表現する。それが連濁した「くり」は、「いぢくり」その他、同じ動態が何度も反復することも表現する→「くり(繰り)」の項。つまり、「こそぐり」は、擦過するように微かに触れ続けること。母音変化しU音化により客観的な動感の生じた「くす」による「くすぐり(擽り)」もある。

「又武士、将軍ヲウシナイテ、我身ニハヲソロシキ物モナクテ地頭地頭トテ、ミナ日本国ノ所当(所當)トリモチタリ。院ノ御コトヲバ近臣ノワキ地頭ノ得分(トクブン)ニテコソグレバエ(笑)マズト云事ナシ………サテ是等(これら)ノ僻事(ひがごと)ノツモリテ大乱ニナリテ。コノ世ハ我モ人モホロビハテナンズラン」(『愚管抄』:「所当(所當)」は、担当するところ、のような意であり、ようするに、自分が(地頭として)管理支配することになった地、ということ。「院ノ御コトヲバ…地頭ノ得分ニテコソグレバエマズト云事ナシ」は、院に関することも、院を敬っているわけではなく、所当として得られる分でこそぐると笑む、ということでしょう。「得分(トクブン)」は、職に付随した収益・利益、のような意。つまり、院だの天皇だのといった、公のことを考えているわけではなく、自分がどれくらいいい思いができるかを考えているだけ、ということ)。

「撃櫪 己曾久留」(『新撰字鏡』:「櫪(レキ)」は「櫟(レキ)」「擽(レキ)」と同字として扱われており、「擽(レキ)」は、撃(う)つ、という意味ですが、日本では手偏に「楽(たの)しい」というこの字が「くすぐる(擽る)」と読まれている。手で擦過するようなことをすると笑って楽しそうだから)。

 

◎「こそ」

「かさかさ」(→下記)にある「かさ」の母音変化のそれたる「こそ」と「けをそ(気をそ)」のそれたる「こそ」がある。

・母音変化たるそれ

「かさ」がO音化・対象化した「こそ」。「此の板こそこそとして入りぬ」(『今昔物語』:これは擦(こす)れるような音を立てている)。濁音化し複数(現象規模の増大)を表現する「ごそごそ」という表現もある。「こそぐり(擽り)」の「こそ」もこれであり、O音化により客観的に対象化した擦過感が表現される。

「御こし(御輿)の、いとせばきはしら(狭き柱)のうちをとほるとて、やなぐひ(矢簶)のはず(筈)のこそこそとなる(鳴る)おとなひまで…」(『有明の別れ』)。

・「けをそ(気をそ)」

「そ」は「そっと」などにあるそれであり(→「そ」の項)、「を」は状態を表し、「けをそ(気をそ)→こそ」は、気(け)でしかないような「そ」であり、非常に目立たない、気づかれない状態であることを表現する。

「こそこそとうせ」(『愚管抄』:気づかれぬようにいなくなった)。「こそこそとにげた」(『松翁道話』:気づかれぬように逃げた)。

情況進行を表現する「り」がついた「こそり」「こっそり」という表現もある。母音変化しU音化により客観的な動感の生じた「くす」「くすくす」もある。

※ 「我こそは…」のような、助詞たる「こそ」はもちろん別にあります。

 

◎「かさかさ」

「か」のK音による情況的交感と「さ」による擦過の擬音。それにより触感としては柔らかな、低い摩擦係数のある触感が表現され、経験的にそうした対象は乾燥していることが多く、擦過により音を発したりもする。二音連音は動態の持続を表現する。

「鞍櫃(くらびつ)の蓋(ふた)をかさと開けて出づる者あり」(『今昔物語』)。

「かさかさとやぶの中へぞいりにける」(「狂言」)。

 

ようするに、「くすぐり(擽り)」「こそぐり(擽り)」の「くす」「こそ」は「あな(己)」「うぬ((自・己)」「おの(己・自)」、「あさ(浅)」「うす(薄)」「おそ(遅・鈍)」のような母音変化だということです。