「くさはやり(臭逸り)」。「はやり(逸り)」は心情が昂進すること。「くさはやり(臭逸り)」は、耐え難い臭気を放つような不快な状態である動態に心情が昂進し耽溺したような動態になること。つまり、ある人が気分が高揚しつつある動態にふけっていたとしてもその動態が耐え難い臭気をはなつような不快なものなのです。これは単独では用いられず、つねに何らかの動詞に添えて用いられます。これは江戸時代からの表現。
この語に関しては「くさり(腐り)」であり、その補助動詞的用法と言われるのが一般です。たとえば「言ひくさり」の場合、言って人間性が腐るわけであり、意味が正しいようにも思われます。しかし、たとえば「覚えくされ」の場合、覚えて腐れ、は意味がおかしい。これは、記憶していい気分になっていろ、いまに思いしらせてやる、という意味です。ただ、漢字表記では「腐り」と書いたりもします。
「生(いき)ても死んでも忘れはせじ、覚えくされとせきくるひ川ぎしに立波の下」(「浄瑠璃」)。
「母をば養はいで、京に若き女房に惚れくさりて居るぞ」(『山谷詩抄』)。
「われ一人菊を可愛がっとるやうなことを吐(ぬか)し腐(くさ)って」(『牛部屋の臭ひ』正宗白鳥)。
「威張りくさったやつ」。
これは、動態に対する嫌悪や憎悪の情を表現する、動態を罵(ののし)る表現です。動態の罵(ののしり)表現としてほかに「~やがる」や「けつかる(~てけつかる)」があるのですが、それは別項にします。