◎「くさび(楔)」
「きゆさやむゐ(きゆさ止む居)」。「き」は軋(きし)みの擬音。「ゆさ」は「揺さ」であり揺れを表現する。「きゆさ」は軋む音を発して揺れること。材の組み方が不安定であり、建造物全体が不安定になっている。それがある(居る)ことによりその「きゆさ」が止(や)むのが「きゆさやむゐ→くさび」。具体的には、それは、(事実上木造の)建造物全体が音を立てて軋み揺れるような状態をなくすため、材接合部の隙間に先端が点状・線状に細くなった材を打ち込み接合を堅固に固定し、全体の組みを固定する。そのために打ち込まれるものが「くさび」。「くさびの外(はづ)れたる車」。作用の類似から何かの隙間をふさぐ何かも「くさび」という。「岩間には氷のくさびうちてけり玉ゐし水も今は漏り来ず」(『後拾遺和歌集』)。また、形態と作業の類似性から、何か(たとえば岩)を割るためにその隙間に打ち込み割れを広げるものも「くさび」と言う(この意味では、たとえば人間関係を裂くことを「くさびを打つ」と表現したりする)。
「轄 …和名久佐比 軸端銕也」(『和名類聚鈔』:「銕(イ)」は鉄の古字。この語は『和名類聚鈔』の車の部品の部にある。つまり、車輪を車軸に固定させる鉄部品ということであり、当時は日常生活でもっとも身近なクサビは車の部品だったのでしょう)。
◎「くしゃみ・くさめ(嚔)」
これは、痙攣的に息を吸い発作的に破裂するように鼻や口から息を吐き出す発作的生理現象をいうものですが、「くしゃ」は、その際の、生体の状態を表す擬態のような、その際に発せられる口音による擬音のようなもの(「ハクション」と表現されるそれ。語頭の「ハ」で息を吸い込んでいる)。それを動詞化した嚔(くしゃみ)をすることを表現する「くしゃむ」があったのでしょう(くしゃみを表現する動詞や表現には「ひ(嚔)」や「はなひ(鼻嚔)」もある)。それが「くさむ」と表記され、「くさみ」(自動表現:この連用形名詞化が「くしゃみ(嚔)」)・「くさめ」(客観的対象を主体とする自動表現)。その一方、「くしゃみ」が出た際、寒い中で修行していた「沙弥(シャミ)」(出家した修行中の者)が「クシャミめ(救沙弥め)」(沙弥めを救いたまえ:「め」は蔑称であり、この場合は謙称)と唱え、「クシャミめ→くさめ」がくしゃみが出た際の禍(わざはひ)を避ける呪(まじなひ)の言葉になったのでしょう。『徒然草』に、尼が「くさめくさめ」と言いながら歩いており、なぜかと問うと、養った子が今比叡山で修行しており、もし彼が鼻嚔(ひ)たるときこの呪(まじな)いの言葉を唱えなければ死んでしまうのでそうしていると答えたという話がある。『万葉集』(万336)には、筑紫の綿は、身につけたことはないが暖かそうだ、という沙弥の歌がある。さぞかし寒かったのでしょう。たぶん、身の危険を感じるほど。つまり、「くさみ」「くさめ」と書かれる生理現象はこのまじないの言葉が語源というわけではないということ。
参考:『徒然草』四十七段全文
「或人(あるひと)清水(きよみづ)へまいり(参り)けるに、老いたる尼のゆきつれたりけるが、道すがら、『くさめくさめ』と言ひもて行きければ、『尼御前(あまごぜ)、何事をかくはのたまふ(宣ふ)ぞ』と問ひけれども、いらへもせず、なほ言ひやまざりけるを、たびたびとはれて、うちはらたちて(腹立ちて)『やや、はなひ(鼻ひ)たる時、かくまじなはねば志ぬる(死ぬる)なりと申せば、やしなひ(養ひ)君の、比叡(ひえの)山に児(ちご)にておはしますが、只今もやはなひ(鼻ひ)給はむと思へば、かく申すぞかし』と言ひけり。
ありがたきこころざしなりけんかし」