「きふさ(牙草)」。牙を思わせる状態の「ふさ」。「ふさ」は「ふせは(伏せ葉)」。樹木によって上に、ではなく、地に伏せている印象の「は(葉)」。つまり、草を意味する「ふさ」という言葉があったと思われます。これが「しもつふさ・しもふさ(下総)」「かみつふさ・かづさ(上総)」という古い国の名にもなっている(それらの総体が「ふさ」の国:「上緫 加三豆不佐」「下緫 之毛豆不佐」(『和名類聚鈔』)。つまりこれらは、草地、の意。その「ふさ(草)」の中の、その形状から「き(牙)」の状態の草(ふさ)が「きふさ(牙草)→くさ」。これが木質以外の植物の総称になった。それは広大な草原なども形成し、印象が代表的だったのです。「草 ……和名久佐 百卉揔名也」(『和名類聚鈔』:「卉」は「くさ」)。

「毛 …ケ……クサ」(『類聚名義抄』:→「けぬ」の項)。

戦国時代以後、敵状を探る忍びの者のような者も「くさ(草)」といった。草に身をひそめていろいろなことを探るから。「しちぐさ(質草)」の「くさ」は「くさ(種)」。「はるのななくさ(春のななくさ)」などと言う場合の「くさ」も「くさ(種)」(「くさ(草)」ではありません)。

「この崗(をか)に草刈る小子(わらは)なしか苅(か)りそねありつつも君が来まさむ御馬草にせむ」(万1291:「な+動詞連用形+そ」という表現になっているわけですが(~しないでね、ということ)、五句「君來座」は、君が来まさば(来たら)、とも読まれますが、来まさむ(来るであろう)、の方が、来ることの想でもあり、草に惹かれて馬が来るようでもあり、歌として面白い)。

「春の野に草(くさ:久佐)食(は)む駒(こま)の口やまず吾(あ)を偲(しの)ふらむ家の兒(こ)ろはも」(万3532:東国の歌。「ころ(兒呂)」は、「こら(子等)」、すなわち、子供ら、という意味ではなく、「こ」は親愛の情をこめた愛称的表現であり、「ろ」は表現を婉曲化間接化した表現であり(→「ろ」の項)、尊重感を表現し、そうした表現で家に残した妻を表現している)。