◎「きりぎりす(蟋蟀)」
「きりギンリンシフ(霧銀鈴集)」。「リン」は「鈴」の唐音。霧のように銀の鈴の音の集まりが感じられるもの、の意。秋、野に鳴く虫の総称であり雅称。後世では或る鳴く虫の個別名になりますが、元来は、どの虫、という生物学的な特定性はありません。この語は「こほろぎ」よりも後に生まれた雅語的な表現と思われます。
「秋風にほころびぬらしふぢばかまつづりさせてふきりぎりす鳴く」(『古今集』:キリギリスが「つづりさせ」と鳴いているといいます。その虫は、チチチチチ、のように鳴いていたのでしょう)。
「蟋蟀 ……和名木里木里須」(『和名類聚鈔』:「蟋蟀(シッシュツ(シッソツ、とも)・現代の中国語では、シーシュアイ)」は現代の中国語でコオロギを意味する。キリギリスは、現代の中国語で、「螽斯(シュウシ・現代の中国語では、チョンスイ)」。「螽(シュウ)」は蝗(いなご)系の虫を意味するが、「斯(シ)」は、虫ら、の、ら、のような意味で、鳴き声の擬音もかねているということか?)。
「きりぎりす」に関し付録・下記※
◎「こほろぎ(蟋蟀)」
「こふをおろきき(乞ふを疎聞き)」。「おろ(疎)」は、「あら(粗)」のO音化・母音変化であり、確かな充実感がなく、たよりない空虚感が感じられること。たとえば秋の野で、乞い(求め)、近づくと遠ざかり微かに聞こえるような状態になるもの。接近すると敏感に鳴き止み離れた所にいる虫の音が残り遠ざかったような思いになる。昆虫の一種の名。羽を擦過させ音響を発する種類の虫ですが、古代では生物学的特定性はなかったでしょう。
「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ(蟋蟀)鳴くも」(万1552)。
「蜻蛚 ……和名古保呂木」(『和名類聚鈔』)。『廣韻』の「蛚」の説明に「蜻蛚蟋蟀」とあり、中国の書に「陸璣云:蟋蟀,似蝗而小,正黑,有光澤如漆,有角翅。一名蛬,一名蜻蛚」とあり、上記のように『和名類聚鈔』に「蟋蟀 ……和名木里木里須」とありますが、(中国語の)「蜻蛚」と「蟋蟀」は同じ虫らしい(というよりも、同じ虫の別表現。これはどちらも(現代の)コオロギでしょう。日本語の「こほろぎ」「きりぎりす」はどちらも、元来は、この虫、といった特定性はない)。
※ 「きりぎりす」付録
「きりぎりす」は、その名が現代のキリギリスに固定していく過程において「はたおり」とも呼ばれたようです(似たような他の虫もそう呼ばれたかもしれない)。この名に関しては、『和漢三才図絵』(1712年成立)の「螽斯 はたおり」(「螽斯」は中国語でキリギリスの意)の項に、小兒が戯(たはむれ)に(その虫の)両足を捕えて お前が機(はた)を織ればすぐに放すぞ、と言うとその「屈股俯仰」(脚を屈(かが)めて俯(うつむ)いたり仰向(あおむ)いたりするということか)の状(さま)が機織りに似ているのでこの名がある、と書かれている。
「蟲(むし)は、すずむし、……松蟲、きりぎりす、はたおり…」(『枕草子』:枕草子』のこの記述は「きりぎりす」が後のコオロギで、「はたおり」が後のキリギリスと言われる。そういうことでしょう)。
ただし、『和漢三才図絵』の「はたおり」はキリギリスではなさそうです。『和漢三才図絵』には「螽斯 はたおり」という項のほか「蟋蟀 こほろぎ」「莎雞 きりぎりす」(「莎」は植物の一種の名ですが。「莎雞」は、草(くさ)ニワトリのような意なのでしょうか)もあり、その『和漢三才図絵』の「螽斯 はたおり」の項の説明に「跳作聲如吉吉」とあり、「吉吉(キチキチ)」と音を発するのはキチキチバッツタ(別名、ショウリョウバッタ)ではないでしょうか。ただし、その絵は、キチキチバッタよりも、トノサマバッタに似ている。キチキチバッタに似た絵は「𩧅螽 ねぎ」(原書の「𩧅」は「馬」が下に書かれていますが、たぶん同字(𩧅」の音(オン)は『集韻』に「符袁切」。「フェン」のような音(オン)でしょう。意味は中国の書に「止」だの「不行」だの「籠」だのと書かれるような意)。「ねぎ」は「禰宜」であり、頭部が、被り物をかぶったそれを思わせるから)という項目で別にある。
つまり、平安時代ころ、キリギリスは「はたおり」と呼ばれることもあったが、これも完全に固定的ではなく、『和漢三才図絵』(江戸時代成立)の「はたおり」は、絵はトノサマバッタに似ているが「キチキチ」と音を発すると書かれており、「莎雞 きりぎりす」は別にあり、キリギリスではないということ。