◎「きち」

この「き」は「きめ(極め・決め)」のそれであり、対象との交感が進行し対象の終局的存在確認、そのあり方の確認を表現しますが、「ち」は終局的な思念的確認を表現する「つひ(終)」が動態化しており、「き」自体が終局的な「き」であること、他の「き」が認められるような「き」ではないことを表現する。つまり「きち」は、極めて明瞭な「き」ということ。「きちと」は、その対象の、それがなければその存在がなくなるような、なければならない、存在のあり方で極めて明瞭に、ということ。これを情況進行を表現する「り」で表現し「きちり」とも言い、「きちりと」は、撥音便化し「きちんと」とも言う。「青年はきちっと口を結んで」(『銀河鉄道の夜』)。「きちんとかたづけておきなさい」。

 

◎「きつし」(形ク)

「くひツウうし(交入ひ・食ひ痛憂し)」。「くひ(交入ひ・食ひ)」は侵入感が生じること→その項。「ツウ」は「痛」の音であり、意味は痛(いた)み。「くひツウうし(交入ひ・食ひ痛憂し)→きつし」は、侵入感のある痛みに不活性感やそれによる不安を覚える心情になること。侵入感は圧迫により生じ、物的情況動態だけではなく社会的情況動態も表現する。つまり、物が与える効果だけではなく、物的環境や社会的環境(人間関係)が与える効果(自分が置かれている情況)に関しても言います。

「帯がきつい」。「税をきつく取る」。「きついお仕置き」。「きつゐ評判でござります」(「浄瑠璃」:限度を越えていると思われるほど評判)。「『あの婆さまが跡の方からにこにこして行くからあれは実の娘だぜ』『きついきつい、違ひあるめへ』」(「滑稽本」:そうでなければいいのに確かにそうだ)。

 

◎「きっと」

「きと」の変化(その表現に力が加わった促音化)。「きと」の「と」は思念的に何かを確認する助詞ですが、「き」は「きめ(極め)」のそれにあるような、存在と不存在の限界へ向かうような「き」であり、それが気づきの瞬間性(→「かぐや姫きと影になりぬ」(『竹取物語』))、その意識の集中性ゆえの確信性(→「きっとそうなる」)を表現する。