「ひきといはひ(日着と祝ひ)」。「ひ」は無音化し、「といは」が「つは」のような音を経つつ「た」の一音になっている。「ひきといはひ(日着と祝ひ)→きたひ」は、日を着た、となることを祝ふこと。これは「いはひ(祝ひ)」の意味が関係するわけですが、この語は人智の及ばない情況感が作用することを意味し、それを汚すまいと快楽を拒否し苦しみにも堪(た)えるような状態になります→「いはひ(祝ひ)」の項(2020年2月22日)。つまり、「ひきといはひ(日着と祝ひ)→きたひ」は、日を着た、日ではないが、日のようになった、という状態になるまで苦しいことにも堪(た)える、というような意味になる。干し肉や干し肉をつくることを意味する「きたひ(腊)」も「ひきといはひ(日着と祝ひ)」なのですが(→昨日)、その場合は日の力を得る、その作用影響を受ける、という意味ですが、「きたひ(鍛ひ)」の場合、まるで日のようになります。日のようになるのは何なのかというと、それは鉄であり、この場合の、日のようになる、とは、それが極限まで灼熱化することです。つまり「きたひ(鍛ひ)」は鉄を加熱し灼熱化させること。古代は火力も弱く、これは全身が焼けそうな苦しい作業だったでしょう。さらにこの「きたひ(鍛ひ)」は、それに連動する作業、それを打ち、練り上げるようにたたみ、打ち、冷やし、焼き、さらに打ち…という作業全体を意味するようになっていき、客観的対象に対し働きかけるその動態の外渉性から、活用語尾はE音化しこの動詞は「きたへ(鍛へ)」の下二段活用動詞になっていきます。つまり、「きたへ(鍛へ)」は鉄の鍛冶から生まれている語であり、その原意は、日になると信じ祝(いは)ふ(苦痛や苦労に堪(た)える(堪(た)えさせる))こと。

「真金(まかね:鉄)あり、鎔(きた)ひ、銷(け)し、冶(う)ち、錬(ねや)す」(『金光明最勝王経』:「銷(セウ)」の字は、溶解させる、の意)。

「若いころから鍛(きた)へた体」(これは「きたへ」の例)。