「キせり(気迫り)」。「せり(迫り)」は勢いの増大感が生じる情況になること。「キせり(気迫り)」は「キ(気)」をそうする。すなわち、「キ(気)」の勢いを促すような動作をすること・もの。「キ(気)」の勢いを促すような動作をするものとは、そのもの(道具)において「キ(気)」の流動の勢いが増す(具体的には、吸う)。この「キ(気)」は煙草の煙と一体化している。すなわち「きせり(煙管)」は煙草を吸う道具。この「きせり」に「ラウ・ラオ」が加わり「きせりラウ→きせる」「きせりラオ→きせろ」。「ラウ・ラオ」は東南アジアの国の名「ラオス」であり、その方面で産出される独特の模様のある竹が煙草を吸う道具に用いられた。その竹の両端に吸い口と雁首(ガンくび)をつけ、その間の管を「らう・らお」と呼び、煙管(きせる)の掃除や販売を行う商人を「らお屋」と言った。「きせる(煙管)」は「きせり」「きせろ」とも言う。
この語の語源に関しては、17世紀末の書に「蛮語」と書かれたりもしており、(カンボジア語の)管(くだ)を意味する外来語とする説が多い。それはヨーロッパ系アルファベットで記せば「khsier」だそうです(「クシエル」のような発音らしい)。しかし、「khsier」が、「pipe(パイプ)」や「つつ(筒)」を意味したとしても、それがカンボジアの煙草を吸う道具を意味するとも思われません(下記※)。日本で煙草を吸う道具の材としてそうとう一般的に用いられた竹の産地で表現するなら、むしろそれは「らお」でしょう。
「佗波古希施婁(たばこきせる)ハ皆番語也 無シ義釋」(『林羅山先生文集』巻五十六「佗波古希施婁」)。
※ この「きせる」カンボジア語説が書かれているのは「キセルの語源」(新村出:『文藝春秋 十月號』(文藝春秋社)1926(大正15)年10月1日発行)なのですが、上記の点に関してはそこには何もふれられていません。そこに書かれているのは「カンボチヤの舊教宣教師ベルナール師」が編纂した「佛蘭西語對譯の東埔寨辭書」(「東埔寨」は、カンボジア)に「KHSIERと標して Pipe と譯してある」ということと、「khsier」の音がなんとなく「きせる」に似ているということだけです。「pipe(パイプ)」は英語で喫煙具を意味しますが、カンボジア語の「khsier」が喫煙具を意味するかは不明。