◎「きざはし(階)」

「キザはし(机座階)」。これは後世で言う「カイダン(階段)」ですが、階段のその一段一段の形状が「机(キ:つくえ)」のようであり、ひとの居る「座(ザ)」でもある「はし(階)」ということ。階段は古く「はし」と言い、「しな」とも言った。「堦 ……俗爲階字  波之 一訓之奈 登堂級也」(『和名類聚鈔』)。

「きだはし」という似た語がありますが、「段・片」を意味する「きだ」はまた別の語であり、低所から高所へ渡す分厚い板表面に水平に単位片(「き(寸)」)たる(「は(端)」を彫(ゑ)りつけ(これが足がかりとなる)、これが「きだ(段・片)」であり、それを彫りつけた階(はし)を「きだはし(段階)」という。これは、古代の高床式の米倉の出入り口などに設置されていたものが遺物としても発掘されます。

「まづかんの殿(との)のぼり給ふ。階段(きだはし)は御手とりてのぼせ奉り給ふ」(『宇津保物語』:「かん」は「かみ(上・長官)」の音変化であり、司(つかさ)の長官の立場にある人(この場合は女性))。

 

◎「きざみ(刻み)」(動詞)

「きずゆやみ(傷ゆ止み)」。「ゆ」は経験経過を表現する助詞。その項参照。「きずゆやみ(傷ゆ止み)→きざみ」、すなわち、傷を経過し止(や)む、とは、傷を経過することのみがあり他の経過は放棄されたような状態になることであり、何かに傷をつけつづける動態になる。それにより結果的にその何かは細かな部分に寸断されたりもしますが、それは結果であり、基本的には傷をつけることのみが経過すること。 (事実上多数の)傷をつけること。彫刻したり、(とりわけ、刑罰として)入れ墨をしたりすることも言います。人を傷つける(多くの傷を負わせる)ことも言い、細かな断片を出すこと、細かな断片化すること、細かく切り刻むこと、も単に「きざみ」とも言うようになる→「大根をきざみ」。時間の流れに幾つもの傷(痕跡)を残すような動態を現すことも言う→「時をきざみ」。そうした痕跡を残すその瞬間も言う→「今はのきざみ」(臨終のとき)。

「やうやう仏のみかたにきざみたてまつるあひだ…」(『古本説話集』:これは彫刻を行った)。