「きいき(き行き)」。語頭の「き」は「きめ(極め・決め)」にもあるそれであり、K音の交感による気づき、理性の(自覚作用の)自動発動、動態(ものごと・現象)の対象化、記憶化、そしてそのI音化によりその進行が表現され、対象との交感が進行する。交感が生じているその対象の「いき(行き)」によるその進行は作用となります。対象との交感により作用がある、とは、すなわち、効果が生じることです。「きいき(き行き)→きき」とは、作用が生じ、効果が生じることです。その場合、その効果は、何かが影響し(何かの影響を受け)生じる。まったく何も影響せず(全く何の影響も受けず)効果だけが生じることはありません。すなわち、「きき(効き・聞き)」は効果があること。「薬がきく」や「気がきく」は薬や気が効果的であること。

「音楽をきく」(「を」は状態を表現する・「音楽」という影響効果状態にある)のように、この動詞が(言語も含めた)音響影響下、その作用下にあることの表現に用いられるのは音(おと)の「き」としての人に与える作用の一般性とその影響の深甚性ゆえです。人に与える音声、とりわけ口声、とりわけ人の口声、とりわけ言語、の影響作用性は非常に深甚です。そして、この動詞が(口音、すなわち言語たるそれも含め)音響影響下・その効果状態にあることの表現に用いられることは極めて日常的に頻繁に行われ、「聞き(きき)」は「効き(きき)」と分けて別の動詞に分類されていたりもします。しかし「きき(聞き)」の原意は「きき(効き)」であり、この点の理解がないと、たとえば平安時代などの尊敬・謙譲表現の「きこえ」(さらには「きこえさせ」など)や「きこし」などが、その表記に「聞」が用いられることにも影響され、わかりにくくなります(これを、何らかの影響を受け作用が生じ効果が生じることではなく、聴覚刺激を受けることと思ってしまう(聴覚刺激を表現する「聞(き)こえ」という表現ももちろん別にありますが))。

「いふことをきく」などの場合も、一般に、単に音響影響にあることの表明を行っているわけではなく、その(言語影響の)効果が生じている状態にあることを表現する。「もののふの臣(おみ)の壮士(をとこ)は大君(おほきみ)の任(まけ)のまにまにきくといふものそ」(万369)。

「きき(効き・聞き)」は、効果を得る、効果を発揮する状態になる、という意味にもなる。たとえば「やり方がわからなかったので彼にきく」は、彼において効果を得る。占いや籤(くじ)で効果的な答えを得ようとする場合「占ひ(籤)をきく」と表現したりもする。「ききざけ(利き酒)」は酒をきく(酒においてその酒の効果、この酒はこうだ、という効果、を得ようとする)。「我が句を面白く作るよりも、聞(きく)は遙かにいたりがたし」(『ささめごと』:効果を得ること、すなわち、効果ある句とはどのようなものかを知ること、はむずかしい)。

 

「…鳴(な)く保等登藝須(ほととぎす)……欲和多之伎氣騰(よわたしきけど:夜渡し聞けど) 伎久其等尓(聞くごとに) 許己呂都呉枳弖(心つごきて)… 」(万4089)。

「吾(わ)が聞(き)きに 繋(か)けてな言(い)ひそ 苅薦(かりこも)の 乱(みだれ)て念(おも)ふ 君(きみ)が直香(ただか)そ」(万697:これは「聞き」だが「効き」でもある)。

「音声悪く、口もきかずしてある説法者一人候き」(『雑談集』:口の効果を発揮しない)。

「右の頭を能(よ)くいひおひおとし給へば『あはれきき給へる口かな』と上達部・殿上人ほめ申給ふ」(『栄花物語』:(左右に分かれて競った)左方の源中将が右方の頭を効果的に反駁した、ということ)。