「キおひ(気負ひ)」。「キ(気)」に「おひ(負ひ)」の意。「キ(気)」は漢語「気(氣)」の音(オン)ですが、「気」の原意は湯気。自然界や人間からそんな感じの何かが出ているらしい。それが「キ(気)」。「おひ(負ひ)」は、何かに関し、(その何かが)目標感・客観的存在感のある情況になることですが(→「荷をおひ(負ひ)」)、「Aにおひ(負ひ)」と表現した場合、「名にしおはば」(『伊勢物語』)の場合、ある名を自己の名として背負っているなら、のような意になりますが、「この研究の成果はこの書からの示唆におっているところが大きい」などの場合、「研究の成果」が「書からの示唆」におぶさりそれにより成果が助けられているような状態になる。「きおひ(気負ひ)」の、気(キ)に負(お)ふ、とは、後者のような意味で気に負う。つまり、気(キ)を頼りにしその影響や力でなにごとかをなそうとする。気(キ)の威力を増そうとするのです。気を増強させる努力をしている状態になる。励まされる、というような意味にもなりますが、これは、たとえば何者かの支援を受け、気(キ)に負(お)ふ自信が生まれる(つまり、その気になっていいのだ、という自信が生まれる)。これは外観的には勢いがましていることであり、「きおひじし(気負ひ獅子:勢獅子)」などの「きおひ(気負ひ)」はそれ。「きほひ」と書いたりもしますが、これは「きほひ(競ひ)」の影響もあるのでしょう(エネルギーが燃え上がって先を争い何かを追うような動態になる「きほひ(竸ひ)」は「きおひ(気負ひ)」にある程度意味は似ています。「きほひ」と「きおひ」を、単なる偶発的な仮名表記の混乱として(そうした仮名表記の混乱もありますが)、同語としている辞書もありますが、同語ではありません)。
「江戸の勢(きほ)ひや破落戸(ごろつき)に天窓(あたま)を下げたことはねえ」(「歌舞伎台本」)。
「きおひはだ(気負ひ肌)」(勇み肌、や、任侠肌、と同じような意)。
「こりゃきほひ給へと、せなかをたたきてそやし立られ」(「談儀本」)。