「き(来)」(動詞)の語源(1)の続き

 (終止形)

動詞の終止形は動態の対象化であり、「き(来)」の終止形は「く(来)」ですが、後には「き(来)」は「くる(来る)」が終止形の状態になります。一般的動態たる「く(来)」がR音により客観的に情況化され「くる(来る)」になる。これは表現が客観情況化されるようになるということです。「ゐ(居)」は「ゐる(居る)」になり「うる」にはなりませんが、「き(来)」は動態が、本質的に、主体が対象化している客観的なものであるのに対し、「ゐ(居)」はそうした対象化した動態を表現するわけではなく、E音化の要請を受けI音がU音化する(つまり、U音化により動態が一般的中立的なものとなる)要請は動態に決定的なものではなく(前述のように(昨日)、古く、「ゐ(居)」の終止形に「う(居)」はありましたが、「ゐ(居)」の動態性に吸収されるようにそれは現れなくなっている)、「ゐ(居)」では、動態の一般的動態化はI音にU音のR音がつくことで、すなわち「ゐる(居る)」で、表現される。「み(見)」「き(着)」の終止形は「きる(着る)」「みる(見る)」。「し(爲)」は「す(爲)」ですが、これも「き(来)」と同じU音ということであり、のちには「する(爲る)」と言われるようになります。

 

 (未然形)

その否定や推量表現などでA音化の要請が働いたとき(その際の活用形が「未然形」と言われる(※)。なぜ否定や推量表現などでA音化の要請が働くかに関しては「ぬ(助動)」や「む(助動)」の項)、「き(来)」は、その動態が主体が対象化している客観的なものであるがゆえに、「み(見)」や「き(着)」のようにI音がそのまま保存されることはなく、かといってA音化した「かず(来ず)」(否定)や「かむ(来む)」(推量)は進行感が生命の意味性が喪失し、A音のI音に対する妥協としてU音の動態感の客観的対象化・それによる情況化表現としてそれがO音化しその否定や推量表現は「こず(来ず)」や「こむ(来む)」になります。つまり、未然形は「こ(来)」になる。「し(爲)」の場合は「せ(爲)」になりますが(→「せず(爲ず)」「せむ(爲む)」)、I音とA音が妥協しつつ「し(爲)」の動感も保障し外渉的なE音ということ(動感が外渉感を促している)。「み(見)」「き(着)」「ゐ(居)」の未然形はそのまま「み(見)」「き(着)」「ゐ(居)」。

ちなみに、後世、大阪では関東での「こない(来ない)」を「きーへん(来へん)」とも「こーへん(来へん)」とも言います(これは、「こぬ(来ぬ)」の影響を受けつつ、「せぬ」の変化の「へぬ(へん)」に「せぬ」の意味性が希薄になり未然形と連用形が混乱している)。

ちなみに、「き(来)」の未然形「こ(来)」は乙類表記→「許登之許受登母(今年来(こ)ずとも)」(万3406)。

※ 「未然形」(未(いま)だ然(しか)ならざる形)は江戸時代の国語学では「将然言」(将(まさ)に然(しか)ならむとする言)と言った(1833年に、それ以前から分類されていた活用形にそう名づけた書が出版された)。

 

 (命令形)

命令形の場合、「き(来)」は、外渉要請がありE音化し「け」になった場合、対象との交感進行という「き(来)」の動態は破綻し、「く」になってもそれは一般的動態たる「く(来)」であり、そこで一般的動態たる「く(来)」がO音化し対象存在化した動態となり(この、動態の対象存在化が他者への主張となり)この表明が命令形になる。「し(爲)」の場合は(言うなれば命令形として普通の、E音化たる)「せ」になり「よ」がつく(「こ(来)」も後には「よ」がつき「こよ(来よ)」とも言われるようになる。さらに後には「こい(来い)」になりますが(→「ちょっとこっちへこい(来い)」)、この「い」に関してはその項)。「ゐ(居)」「き(着)」「み(見)」はそのままで「よ」がつく(この「よ」に関してはその項)。

ちなみに、「き(来)」の命令形「こ(来)」は乙類表記→「可敝里波也許等(帰り早来(こ)と)」(万3636)。

 

 (「き(来)」と過去の助動詞「き」の連体形と言われる「し」)

活用の問題ではありませんが、動詞「き(来)」は過去の助動詞「き」の連体形と言われる「し」に接続する場合「き」と「こ」があります→「きしかた(来し方)」「こしかた(来し方)」。これは記憶の再帰性の問題であり、主観的なら「き」客観的なら「こ」ということです。用例としては「こ」の方が多い。また「き(来)」は過去の助動詞の終止形といわれる「き」とは接続しない(「行(い)きき」はあるが「来(き)き」はない)。これに関しては「き(助動)」の項。

 

(動詞「き(来)」の用例)

◎「吾(あれ)は待たむゑ今年こずとも(来ずとも:許受登母)」(万3406:「ゑ」は動態の徹底性を表現する→「ゑ」の項。未然形)。

◎「かの国(くに)の人こば(来ば)、みな開きなむとす」(『竹取物語』:月の国の人が来たらみな(固く閉ざした戸も)開いてしまう。未然形) 。

◎「忘らえこば(来ば:許波)こそ汝(な)をかけなはめ」(万3394:東国の歌。忘れることができたら…とあなたに心を寄せなかったが、ということでしょう。「~なはめ」の、否定を表現する助動詞「なは」に関しては「なふ(無ふ)」(助動)の項。未然形)。

◎「帰りける人きたれり(来たれり:伎多禮里)と言いしかば…」(万3772:戻った人がやって来ていると言ったから…。連用形)。

◎「吾妹子(わぎもこ)が待たむと言ひし時そきにける(来にける:伎爾家流)」(万3701。連用形)。

◎「ほととぎす鳴きて超ゆなり今しくらしも(来らしも:久良之母)」(万4305:助動詞「らし」は終止形に接続する。終止形)。

◎「領(し)らしくる(来る:久流)君(きみ)の御代御代(みよみよ)」(万4094。連体形)。

◎「忘らむて野行(ゆ)き山行(ゆ)き吾(われ)くれど(来れど:久禮等)…」(万4344。已然形)。

◎「鄙(ひな)の長道(ながぢ)を恋ひくれば(来れば:久禮婆)…」(万3608。已然形)。

◎「旅(たび)にても喪(も)なく早(はや)こ(来:許)と…」(万3717。命令形)。

◎「越(こし)を治(をさ)めに 出(い)でてこし(来し:許之) 大丈(ますら)吾(われ)すら…」(万3969。「き(来)」と助動詞「し」)。