K音の交感とI音の進行感により対象との交感が進行する。対象との交感が進行した場合、それは理性的気づき(気づきとは理性的な客観性を帯びた自覚(つまり、自覚それが交感。対象たるものごととの交感))であり、記憶化です。対象に関する主体の動態としては「き(着)」があるわけですが(その項)、対象の動態として「き(来)」がある→「Aをき(着):Aを理性的な客観性を帯びた自覚動態にする」・「Aがき(来):(対象たる)Aが理性的な客観性を帯びた自覚動態になる」。
「き(来)」によって表現される最も日常的な動態としては、その対象の物的出現と接近です。
対象との交感情況、その動態のあり方、に応じて「く」や「こ」に変化する(活用する(下記))。
「~て来(く)る」という言い方で回帰が想定された動態が表現される。「本を買ってくる」。「じゃ、いってくる」。
「き(来)」で問題になるのはその活用変化です。
(「き(来)」の活用:他の連用形一音の動詞と比較しながら)
「き(来)」は動態が、本質的に、(その動態の)主体が対象化している客観的なものであり、遊離感のある客観化した、それゆえに一般的な、動態表現としてU音化があり「く(来)」が働く。動詞「み(見)」や「き(着)」はU音化し「む(見)」や「く(着)」になることはない(この「く(来)」ではE音化の要請を受けI音がU音化するというようなことが起こっていますが、外渉的なE音と進行感を表現する(ただ自我が進行する)I音が融合してU音になるという事態はあらゆる動詞の終止形語尾に言えることでしょう:(「あり(有り)」以外の)あらゆる動詞の終止形活用語尾はU音)。「し(爲)」もU音化があり「す(爲)」になる。「ゐ(居)」は古く「う(居)」がありましたが、というよりもこれが原意でしょうけれど、後に「ゐ(居)」が一般的になります。
(連用形)
動詞の連用形は動態進行であり、この項の冒頭に述べたような動態本質をもつ「き(来)」の連用形は「き(来)」。「み(見)」「き(着)」「ゐ(居)」の連用形もそれぞれの項で述べられる動態本質によりそれぞれ「み(見)」「き(着)」「ゐ(居)」。「し(爲)」は未然形「せ(爲)」命令形「せよ(爲よ)」であり、下二段活用の状態になりますが、連用形は「し(爲)」であり、下二段活用と異なります(下二段活用「え(得)」の場合「えて(得て)」になりますが「し(為)」の場合「せて(為て)」にはならない。「して(爲て)」になる)。これは、「し(爲)」は客観的に(客観世界での)動感(動的進行)を表現する動詞であり、その意味で「き(来)」と同じ変化をするが、「き(来)」は未然形・命令形はO音であり、「し(爲)」がE音になるのは外渉的なE音が動感を保障している(後記(未然形):その結果、連用形を見なければ「し(爲)」は下二段活用に見える。しかし下二段活用型動詞の連用形が「し」になっているわけではない)。「し(爲)」の活用における母音変化の「き(来)」との違いは未然形と命令形が「き(来)」はO音、「し(爲)」はE音という違いだけです。つまり、「き(来)」も「し(爲)」もどちらもその動態は主体が対象化した客観的なものであり、その点はどちらも変わらず、ただ「き(来)」は理性的気づきと記憶化が起こり、「し(爲)」は進行的動感が起こる。
(已然形)
動詞の已然形は(結果は不定で明瞭ではない)動態の経過表現であり(たとえば「言ひ」なら「言へ(『そうとは言へ…)」)、「き(来)」の已然形はその一般的動態表現たる「く」に(「み(見)」や「き(着)」と同じように)動態を情況化するR音の「れ」がつき「くれ(来れ)」になる。已然形としてのE音化の要請を受け「く」が「け」になった場合、「き」の存在・不存在の進行感が喪失してしまうということでしょう(たとえば、漕ぎくれど、と、漕ぎけど)。そこで一般的な、動態表現としてU音化した「く」に動態を情況化するR音の「れ」がつき「くれ(来れ)」になる。「し(爲)」も「すれ」になる。「き(着)」「み(見)」「ゐ(居)」は「きれ(着れ)」「みれ(見れ)」「ゐれ(居れ)」。
(連体形)
動詞の連体形は動態の対象化であり同時に対象を動態形容する。「き(来)」は連体形もその「く」に(「み(見)」や「き(着)」と同じように)動態を情況化するR音の「る」がつき「くる(来る)」になる。連体形は客観的な情況表現であり、「き(来)」は主体が対象化した外渉的な動詞なので、下二段活用動詞のように、一般的な、動態表現としてU音化した「く」にR音で動態を情況化し一般化した表現がなされる。「し(爲)」も「する」になる(「きる(着る)」「みる(見る)」「ゐる(居る)」のように「きる(来る)」「しる(爲る)」にはならないということ)。
連体形は、四段活用動詞の場合、たとえば「行く人」「散る花」のような表現になり、下二段活用動詞の場合、たとえば「燃ゆる紙」「流るる川」のような表現になり、下二段活用動詞では終止形に「る」がついているような状態になりますが、これは、終止形と同じ活用形で表現される(つまり活用語尾U音の)対象化された動態が「る」で情況化され情況動態となり下二段活用動詞の他動性が保存されるということでしょう。この場合の「他動性」とは、一般的なそれであり、言語主体の他への働きかけでもあり、でもある。「言語主体の他への働きかけ」とは、「獲物を分け」のような下二段活用動詞であり、「客観的主体の自動表現」とは、「岩が割れ」のような自動表現たる下二段活用動詞。下二段活用動詞の連体形は、後には、E音化し他動性が明瞭に表現されるようになり、「燃ゆる紙」「流るる川」から、「燃える紙」「流れる川」といった言い方へ変わっていきます。
「き(来)」(動詞)の語源(2)に続く。なぜ二つにわけるのかというと、一度にたくさん読むのはめんどうくさいから。