「けいゐ(異い居)」の音変化。「くゐ」のような音を経つつ「き」になった。「け(異)」は形容詞「けし(異し)」(シク活用)、「けやけし」(ク活用。最初の、け)、「けに鳴く」(いつもとは違った様子で鳴く)などにある「け」。非日常的な、特異なことであることを表現する。次の「い」は、「い通(かよ)ふ」などにあるような、持続感・継続感を表現する「い」。「けいゐ(異い居)→き(城)」は、「け(異)」なる持続的居(ゐ)、ということであり、日常・通常とは異なった、異質の、継続的「居(ゐ)」、そのように居るところ、の意。すなわち「けいゐ(異い居)→くゐ→き」は、非日常的な、外敵に備えた砦のようなところや墓処などを言う。施設その他のその具体的な作りはさまざまであり、周囲に杭や板をめぐらすような場合もあるでしょうし、固めた藁束を積んだり堀を掘ったりする場合もある。海を越えた異地などであれば、土地や建造物に関する特別な造作が無くともその土地(地域)自体が「き」になることもあるでしょう。墓処の意のそれの場合、そこに異質な「居」をしているのは死者(その霊)です。墓処の場合は通常「おくつき(奥つ城)」という言い方をする。その影響により「ひつぎ(棺)」が単に「き」と言われたりもする。
『三国史記』(後記※)の「百済」の部分に潔城が「結己」、悦城が「悦己」と書かれ、「己」は『正韻』に「居里切」、『集韻』に「苟起切」、『唐韻』に「居擬切」。「苟」は『廣韻』に「古厚切」、「擬」は『廣韻』に「魚紀切」。つまり「己」は「き」。すなわち、古く百済で「城」が「己(キ)」と発音されていたことがわかる(「城」の字は漢音「セイ」、呉音「ジャウ」。現代の朝鮮語(韓国語)では「ソン」のような音(オン))。すなわち、この「き(城)」という言葉は、古代、朝鮮半島の百済でも用いられていた。
「… しらぬひ筑紫の国は賊(あた)守(まも)る鎮(おさへ)の城(き)ぞと…」(万4331)。
「昔こそよそにも見しか吾妹子(わぎもこ)が奥(おく)つ城(き)と思(も)へば愛(は)しき佐保山」(万474)。
※ 『三国史記』は十二世紀中頃、高麗で書かれたものであり、これは朝鮮・韓国最古の歴史書です。「三国」とは新羅・高句麗・百済を言う。言うまでもなく中国の文字(漢字)を用い中国語で書かれており、この書に朝鮮語・韓国語の言語資料価値はほとんどない。ただ、地名には漢字の音を利用して書かれたものもあり、ささやかではあるが、資料にはなる(ただし、そんなもので言語の全貌はわかるはずもない)。この書の内容は「記事簡に過ぎ、誤謬多く、殊に三国上世の紀年に関しては、高麗紀の小獣林王以前、新羅紀の炤智王以前、百済紀の契王以前は殆ど全く信じ得ず、取扱上多大の注意を要す。又内容も支那資料よりの転載多く、本書独自のものには信じ難き部分少なからず」(『東洋歴史大辞典』(臨川書店))と評されるようなものです。