◎「から(殻・空)」

「かあれら(か荒れら)」。語頭の「か」は固さを表現します。「かたし(固し)」の「か」(→「かたし(固し・堅し・難し)」の項(下記※))。「あれら(荒れら)」は、荒れた情況のもの・こと、ということですが、「あれ(荒れ)」という言葉は、無秩序化していたり荒廃したり荒(すさ)んだりしていることを意味することが原意ではなく、空虚感・虚(むな)しさを表現することが原意です。つまり、「かあれら(か荒れら)→から」は、固く空虚なもの・こと、ということなのですが、動物や植物の身・実の外側(表面)に特異に固い部分がある。それが固く覆われている。そして、その固い部分のみになったとき、内部は空洞になり、そこには生命があったはずであり、「から(空)」はそれが無い空虚感を表現するということでしょう。つまり「から(殻・空)」とは、身・実が、内容が、空虚になった、動物や植物の身・実の外側(表面)の特異に固い部分、そして内容が空虚であること。この語を生む最も大きな影響を及ぼしたのは、たぶん、貝殻(かひがら)でしょう。

「かれ(枯れ・涸れ)」の語尾がA音化し情況化した「から(枯・涸)」もある→「からやま(枯山)」。

※ 「かたし(固し・堅し・難し)」の項から一部再記すれば、(この「か」は) 「外部からの力に対しそれに応じ変形しその力を吸収したりその力により構成力が破綻し崩壊したりすることのないものどうしが接触した際の音響に由来する擬音」

 

◎「から(幹・柄)」

「かれあれら(枯れ荒れら)」。「あれら(荒れら)」は「から(殻・空)」に同じ(→「から(殻・空)」の項・上記)。つまり、「かれあれら(枯れ荒れら)→から」は、枯れて空虚なもの、ということなのですが、これが草や木の枯れ、乾燥した茎や枝を意味し、枯れ、乾燥した木の枝、その乾いた棒状のもの(つまり、単なる棒)、それを設置した道具の「え(柄)」(斧や柄杓の柄(え)など)も意味する。「いもがら(芋幹)」は刈り取って乾燥した芋の茎葉を意味する。矢の細い棒状の部分も「の(篦)」や「やがら(矢柄)」という。柄(え)のある傘は「からかさ(柄傘):柄(え)のついた笠(かさ)は平安時代にはある」。

「枝條 玉篇云枝柯…和名衣太(えだ) 木之別也 纂要云大枝曰幹…和名加良(から) 細枝曰條………和名之毛止(しもと) 木細枝也」(『和名類聚鈔』) 。

・「 からひつ(唐櫃)」という語がありますが、これは「からひつ(柄櫃)」でしょう。「ひつ(櫃)」はその項。これは(角(かど)ではなく)各面に脚が、脚状の部品が、備わっている櫃(ひつ)であり、その脚状の部品が「から(幹・柄)」だということであり、脚(から)付きの櫃(ひつ)の意。

 

◎「から(唐・韓)」

「かれら(彼ら)」。「かれ(彼)」といっても、後世でそのように用いられているような、男性三人称というわけではありません。後世の「あれ」のような意味です。特定性なく漠然と、それゆえ遠方感を表現しつつ、何かを指し示します。その「何か」は人であるとはかぎりません。ある世界である可能性もある。「ら」はそうした情況、そうした情況にある何かを表現する。漢字では、古くは音(オン)を表現し「加羅」、意味表現的に「唐」「韓」などと書かれますが、「唐」「韓」と表記したとしても必ずしも個別的具体的な国や地域を表現しているわけではありません。しかし、「外国」のような意味で用いられ特に中国や朝鮮を指し示す言葉として「から」が利用されることもある。

 

◎「からあゐ(韓藍)」

植物名「鶏頭(ケイトウ)」の別名(というよりも和名。「鶏頭(ケイトウ)」は中国語名というわけではありませんが中国語風の名)に「からあゐ」があります。これは「からあえゐひ(幹熟え居火)」。「からあゆひ」のような音が「からあゐ」になっている。「から(幹・柄)」「あえ(落え・熟え)」はその項。「あえゐひ(熟え居火:熟え居の火)」は、熟(ジュク)した火、のような表現ですが、老成を感じるような、少し暗さを感じるような、火、であり、その色であり、ふと暗さを感じるような赤、真っ赤、です(「あゐ」が「藍(あゐ)」、すなわち青系の色、ではなく、赤系の色を表現しているということ(※))。「からあえゐひ(幹熟え居火)→からあゐ」は、「から(幹・柄)」の先に、棒の先に、そんな火があるようなもの、の意。この植物の花の咲いた形態の印象による名。漢字表記では一般に「韓藍」と書かれています。

※ 「あゐ(藍)」は植物名であり、その植物から採取される染料名であり、その染料の色たる色名であり、それは青系の色ですが、赤系の色を表現する「あゐ」という語もあったということです。