「いきあひら(生き合ひら)」。語頭の「い」は退行化し、「きあ」は「か」になり、「ひ」は退化した。「いき(生き)」は生命活動を持続すること、生体として存在することを表現し、「~あひ(合ひ)」は、「(お互いに)知りあひ」や「愛しあひ」などのように、相互に交流関係をもって、交感関係を維持しつつ、なにかの動態があること、何らかの動態が相互的・相互交換的であること。「いきあひ(生き合ひ)」は、生命活動が相互的に維持されること、相互的に、それがなければ生存しない、生体として存在しない、状態になること。これはものに関しても、ことに関しても、物的対象に関しても、動態や事象に関しても、言います。「いきあひら(行き合ひら)→から」は、動態であれ対象であれ、それがなければ生体として存在しない情況・そうした情況にあるもの・ことを言う。たとえば「Aから~」と、「~」で動態が言われた場合、動態「~」は「A」という動態情況の動態になる。そして、「Aから~」と、「~」で動態が言われた場合、その動態「~」は「A」がなければその動態として生きていない、生体として存在していない動態であり、「A」は動態経過環境、その環境がなければその動態が事象として存在しない環境、経過地・経由地を意味する→「直路(ただち)からわれは来れども」(万2618:どこかへ寄ったり道がそれたりすることなく来た)。また、「A」はその動態の発生源・起点を意味する→「山から来る」。「AからB」においてA・Bで事象が、すなわち文が、言われた場合、事象Bは事象Aがなければその生体としての存在はなく、発生はなく、AはBの原因となる→「K君が悪口いったからぶった」。また、「Aいきあひら(生き合ひら)→Aから」と言った場合、Aが相互的に生きていること、そうしたもの(人)、という意味にもなる→「はらから(腹から:同胞)」、「やから(屋から:族)」。これは、「はら(腹)」や「や(屋)」という属性を同じくする者たちであることが表現される。属性・種類性を同じくすることは表現発展として「がら(柄)」という語も生む。

 

この「から」は様々な語の要素になります。