◎「かま(蒲)」
「かむら(蚊群)」。語尾のR音は退化した。「むら(群)」は「むれ(群)」の語尾がA音化・全体化情況化し、そうした情況にあるもの・ことをあらわした語(「くさむら(叢)」などのそれ)。「かむら(蚊群)→かま」は、蚊の群れ。群がった蚊。それを生じさせるもの、の意。晩秋のころ風に散る穂綿(種子)の印象による名。植物の一種の名。この植物は水辺に群生し、長い茎上に一般に「ソーセージ形の」と言われる花穂を形成し、秋、これが茶色い、綿くずのような微細な冠毛をもった種子体が無数に密集群生した穂となり、秋もふかまった頃、刺激を受けるとこの種子体群が爆発したように膨らみ、風に乗り無数の、冠毛をもった種子が風にのり流れ舞っていきます。その様子が蚊の群れに見えるということ。この語は後に「がま」になる。「がま」は「かがむら(蚊が群)」。
「 蒲 …和名加末 …蒲黄 和名加末乃波奈」(『和名類聚鈔』)。
◎「がま(蝦蟇)」
「かがみゐやがへる(屈み礼蛙)」の語頭。これが「かがまがへる」のような音を経つつ音は退化し「かまがえる」や「がまがへる」になり、単に「かま」「がま」とも言われた。「かがみゐや(屈み礼)」は、地にいる際、手を前につき身を屈めて礼(ゐや)をしているような印象であることによる。これは両生類の一種の名ですが、古くは「ひき(蟇)」と言った。身を低くし引いている印象だからです。別名「ひきがへる」。
「蝦蟇 …唐韻云蛙 …和名賀閉流(かへる) 蝦蟇也 兼名苑云蝦蟇 遐麻二音」(『和名類聚鈔』:「遐」は『廣韻』に「胡加切」。つまり「カ」。「麻」は『廣韻』に「莫霞切」。「莫」は『正韻』に「末各切」。つまり「マ」。「蝦」は『唐韻』に「胡加切」。つまり「カ」。蟇は蟆と同字で蟆は『唐韻』に「莫霞切」。つまり「マ」。ようするにこの『和名類聚鈔』の「蝦蟇」の説明の後半部では語音として、「かま」は「かま」の二音だ、と言っているわけですが、これは『和名類聚鈔』の著者は和語の「かま」を「蝦蟇」の音(オン)だと思い込んでいたということではないでしょうか。しかし音(オン)だとすると「かまかへる」の意味は「かへるかへる」になる)。
◎「かまし(囂し)」(形シク)
「かまあし(囂悪し)」。「かま(囂)」が、「かま(囂)」で、不快であること。「耳かましきまでの御祈り。験見えず」(『栄花物語』)。「かま(囂)」に関しては「あなかま(あな囂)」の項。
※「あなかま(あな囂)」再記
類似性のある表現やそれのシク活用・ク活用形容詞化表現に「あなみす」「かまし」「かまびすし」「かまみすし」「やかまし」「かしかまし」「かしまし」がある。すべて音響(騒音)への不快感を表現している。
「あな」は感情の高まりを表す発声。後には「あら」に変わる。
「かま(囂)」は「かむら(蚊群)」。「むら」がR音が退化しつつ「ま」になった。蚊が群がっている状況を表現する。蚊の大群が群がりついてきたかのように鬱陶しく煩わしいという意味。これが、用法としては、音響的不快さに対する表現が主なものになっていく。必ずしも、音響の煩わしさを表現するとは限らない→「ちょこちょこ切ってはやかましい」(浄瑠璃:これは、単にわずらわしい、という意味)、「口やかましい」(これは口出しが煩わしい)。
「かまし」は「あなかま」の「あな」が省略された形容表現で「かまあし(かま悪し)」。
「びす」「みす」はびっしり(みっしり)と密集している状態を表す擬態で「びすし」「みすし」は「びしうし(びし憂し)」「みしうし(みし憂し)」(「かまびすし」(蚊の群れが密集している)は歴史的にク活用からシク活用に変化している)。
「やかまし」の「や」は「いや」という程度が高まりつのっていく情況を表す発声。
「かしかまし」の「かし」は「カッし(喝し)」(声を大にして言い→確かに)。「かしまし」はその「か」の脱落。