◎「かま(釜)」

「かまあわ(竈泡)」。「あわ」の子音は退化した。「かま」はこれだけで「かまど(竈)」(というよりも「へっつい(竈:煮炊き用の容器が設置される装置)」を意味します。その「かまあわ(竈泡)→かま」は、その「かま(竈)」が泡(あわ)を吹いているような状態になるもの、の意。これは米の炊飯による、その過程の沸騰によって吹き出る泡です。この表現が、それをもたらすもの、米を炊くこと専用の器具をあらわした。漢字表記はほとんどが「釜」。きわめて稀な例外として「鍋」もあります。形態は、金属製の、底の丸い容器形ですが、竈(へっつい)穴に安定してしかけるために周囲に鍔(つば)がつき「はがま(羽釜)」になり、内部の圧力を高めるために分厚い木製の蓋も置かれます。茶の湯では湯を沸かす道具を「かま」といいます。これは、「かなへ」では名称が無味乾燥で面白みがなく、「なべ」では何かを料理し食うかのようだから、ということでしょう。

「釜 フ カナヘ カマ 鍋 クヮ 同」(『色葉字類抄』(1200年多少前頃):「フ」と「クヮ」はそれぞれ漢字の音(オン)を書いたもの)。

「釡 …和名賀奈閉(かなへ) 一云末路賀奈倍(まろがなへ)」(『和名類聚鈔』(930年代))、「釜 …カナヘ 一云 マロガナヘ 飯釜 カシクカナヘ」(『類聚名義抄』(1100年頃))、この『和名類聚鈔』と『類聚名義抄』の「釜」の項には和名「かま」や「カマ」の読みはありません。『類聚名義抄』にいう「かしくかなへ(炊く金器)」が実質的に「かま(釜)」です。つまり、『類聚名義抄』の頃は、実質的に釜(かま)はありましたが、「かま」という呼称は決定的に一般化はしていなかったのかもしれません。ちなみに、古代では米は玄米のまま蒸していました(自然の成り行きとして、煮たりもしたでしょうけれど)。また、「秔 …志良介米 又 米志良久 又 奴加」(『新撰字鏡』:「志良久(しらく)」は「白(しら)く」であり、(玄米を)精米すること。「秔」の音(オン)は「カウ」)、「粳 …志良介米」(『新撰字鏡』)、こういったことが書かれているわけですから、だいたい900年ころには精米も行われています(ただし、一般的に人々がそうやって米を食べていたというわけではありません)。

ちなみに、『更級日記』(1060年ごろ成立)に「心もしらぬ人をやどしたてまつりて(心も知らぬ人を家に泊めて)、かまばしもひきぬかれなば、いかにすべきぞと思て」という一文があり、この「かまばし」は一般に「釜箸(かまばし)」とされていますが、これは「竈箸(かまばし)」でしょう。火箸のようなもの。釜(かま)の箸(はし)という表現は奇妙です。

 

◎「かまど(竈)」

「かまと(竈処)」。「かま(竈)」は「あけやま(空け山)」。語頭の「あ」は退化し「けや」は「か」になった。「あけやま(空け山)→かま」は、内部を空虚にした山状のもの(装置)であり、上部と底部に穴があり、底部から燃料を入れ着火し、上部から発する熱を利用し、ほとんどは調理に用いる。語尾の「ど」は「と(処)」の濁音化であり、「と(処)」は空間局地的経験経過を表現し(→「と(処)」の項)、この「かま(竈)」は地上に地の一部であるかのように設置されており、「かまと(竈処)」は、竈(かま)たるそこ、竈(かま)たるそれ、の意になる。つまり、「かまと(竈処)」において、「あけやま(空け山)→かま(竈)」は局地的空間域を得、存在的権威となった。

「竈 …和名加万(かま) 炊㸑処也… 𫁑 …和名久度(くど) 竈後穿也」(『和名類聚鈔』)。

「竈 …カマ カマト」(『類聚名義抄』)。

「わがさまのいといらなく(みじめに)なりたるを思ひけるに、いとはしたなくて、(担っていた)芦(あし)もうち捨てて、走り逃げにけり。『しばし』と言はせけれど、人の家に逃げ入りて、竈(かま)の後方(しりへ)にかがまりてをりける」(『大和物語』:単に「かま」と言っている)。

「かまど(可麻度)には火気(ほけ)ふき立てず」(万892)。