◎「かへる(蛙)」
「くゎへりうる(くゎ謙り潤)」。「くゎ」と鳴いて(つまりこれは鳴声の擬音)謙(へりくだ)るように(そのような姿勢で)居(を)り濡れたようになっているもの、の意。両生類の一種の名。その生態による名。
「蝦蟇 …唐韻云蛙 …和名賀閉流」(『和名類聚鈔』)。
「兒毛知(こもち)山若かへるでの(和可加敝流弖能)もみつまで寝もと吾(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ」(万3494:これは東歌。「もみぢ(紅葉)」を「かへるで(かへで)」と言っている)。「吾が屋戸にもみつかへるで(黄變蝦手)見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」(万1623:「もみつ」は紅葉(もみぢ)することを意味する動詞。上記の「かへるで」を「蝦手」と書いている。「蝦」は『説文』に「蝦蟆也」。「蝦蟆(カバ)」は『廣韻』に「蛙 蝦蟆屬」。つまり「蛙(かへる)」。つまり、『万葉集』にも両生類生物を意味する「かへる」という語はあるということ)。『万葉集』に蛙(かへる)の姿を見て歌っているような歌はありません。「かはづ(蛙)」の歌はいくつもあるのですが、すべて声に着目している。「たにぐく」という語もあり(万800(「多爾具久」、971(「谷潜」)、これは「ひきがへる(蟇蛙)」のことと言われますが、これは、蛙の声も含まれるかもしれませんが、谷底へ深く浸透していく音響を表現します→「たにぐく(谷潜)」の項。
◎「かへらま(ば)に」という表現がありますが、これは「かへらむは(反らむは)に」。「は」は助詞。逆なのではに…、逆では、に…、ということであり、そうではないのではないのか?と疑問の思いを表現しているわけです。
「暁の朝霧隠りかへらばに何しか恋の色に出でにける」(万3035:こんなに思いは隠されているのに、なぜ現れる)。
「かへらまに君こそ我れに栲領巾(たくひれ)の白浜波の寄る時もなき」(万2823:これはこの前の万2822の、やさしく受け入れてくれないいつも荒っぽい態度のあなたに寄ることもできないまま恋ふている、という男からの歌に対する女の返事の歌。そんなこう言うけど、あなたこそ逆に…、のような表現)。