◎「がへ」

「うけあへ(受(請)け合へ)」。「うけあひ(受(請)け合ひ)」の已然形。この已然形表現だけで、請け合いこそすれほかではい→固く約束・保証し、そうでないことはない、という意味になる。

「安可見(あかみ)山草根(くさね)刈り除(そ)け会はすがへ(安波須賀倍)争ふ妹(いも)しあやに愛(かな)しも」(万3479:「あはし(会はす)」は「あひ(会ひ)」の尊敬表現。この「かなし」は切なさで胸が一杯になっている。草も刈ってちゃんと整えて準備し、必ず会うって言って約束したのに、いまさらいやがるなんてひどいよ、ということ。全体の読み方としては、安可見(あかみ)山草根(くさね)刈り除(そ)け会はすがへ(安波須賀倍)…争ふ妹(いも)しあやに愛(かな)しも)。

「上毛野(かみつけの)佐野の舟橋取り外し親はさくれど吾(わ)はさかるがへ」(万3420:「さかる」は「さかり(逆り)」の連体形。親はあなたを避けるが(嫌がるが)私は親に逆らう(親の言うことを聞いたりしない、必ずあなたについていく))。

「わがめ妻(づま・豆麻)人はさくれど朝顔(あさがほ)の年(とし)さへこごと吾(わ)はさかるがへ」(万3502:「わがめつま」は「我が目妻」であり、私の目にはあなたは「つま」でしかない、ということだろう。ちなみに、「つま」は古くは男も女も言い、後世のように女が言われているとは限らない。この場合の「つま」も男でしょう。「朝顔(あさがほ)」は後の「桔梗(キキャウ)」。「年(とし)さへこごと」は、一年中でも凝(こ)如(ごと)、一年中閉じ固まったように、ということ。つまり、桔梗のつぼみが開かずに一年中でも固く閉じたように、ということであり、そんなことは現実にはあり得ませんが、それほどの固く決まった思いで、ということ。全体の意味は、人(々)は避けるが(いやがるが)私はそんな人々には逆らう。人に流されたりしない。固くあなたによっている)。

「厩(うまや)なる縄絶つ駒の後(おく)るがへ妹(いも)が言ひしを置きてかなしも」(万4429:「後(おく)る」は、あとから行く、あとから追っていく、の意。厩に縄でつながれたようになっている妹が(その縄を断ち切るように)、かならず後から行く(必ず後から行きこそすれほかではない)、と言った。これは防人の歌)。

 

◎「がへ」

「があへ(が合へ)」。「が」は所属をあらわす助詞。「~が合へに→~がへに」が、~の合わせに、さらにその上に、の意になる。この語は「へ」の一音で「うへ(上)」を表現した「が上(へ)に」と解されていますが、「うへ(上)」の原意は、表面、その表面の現れ、であり、それは歌意に合わないと思われます。またこれは万3465にある表現ですが、偶発的なものであり、一般性があるとも思われません。

「高麗錦紐解き放(さ)けて寝(ぬ)るがへに(奴流我倍爾)何(あ)どせろとかもあやに愛(かな)しき」(万3465:これは東国の歌であり、多少方言的な訛りがある。寝るが上(うへ)に、そのうえさらに、何をしろというんだ)。

この「がへ」と上記の「がへ」が同語とされている辞書もあります。上記の「がへ」を助詞と連語に分けている辞書もあります。「がへ」の意味が把握されず、混乱しているのです。