◎「かはせみ(川蝉)」
「かはせみ(川瀬見)」。常に(獲物を探し)川の瀬を見ている印象であることによる名。鳥の一種の名。これは、鳴き声が蝉(せみ)に似ているので「川蝉 (かはせみ)」と一般に言われるわけですが、鳴き声は特に蝉に似ているというものでもなく、その鳴き声が名になるほど頻繁に鳴いているわけでもありません。べつに「やませみ」という鳥もいますが、これは川に対する山、ということでしょう。
「鴗 …和名曽比…… 小鳥也色青翠而食魚 江東呼為水㺃」(『和名類聚鈔』:ここで「和名曽比(そひ)」と言われている鳥はカハセミでしょう。「㺃」は「狗」と同字で、いぬ(犬))。「そひ」は、其(そ)追(お)ひ、でしょうか。つねに、「(あれ、これ、の)それ」と何かを追っているような動態のもの。この鳥を「水㺃(スイク)」と呼んでいるというここで言う「江東」は中国の揚子江南岸域(昔の、呉)。この部分は中国の『廣韻』に書かれていることがそのまま書かれています)。「鴗」(音(オン)は「立(リツ)」と同じ)は中国ではまたの名を「翠孥」「魚虎」「翠碧鳥」などと言われ、英語では「kingfisher」。つまり現代の日本で言う「かはせみ」。漢字表記は、ここでは、「川蝉」と書きましたが、今もっとも一般的なのは「翡翠」でしょう。「翡」は赤羽雀、「翠」は青羽雀を意味します。
「鴗 …水狗 ソヒ」(『類聚名義抄』:『類聚名義抄』にも「かはせみ」という語はありません)。
「翡翠 カワセミ」(『(天正本)節用集』:この『(天正本)節用集』に「ソヒ」はない)。
◎「かはづ(蛙)」
「かははてひひ(川果てひひ)」。「てひひ」が「づ」になっている。「ひひ」は「ひひき(響き)」のそれであり、音響が響いていることを表現します。川の果てへと響くもの、の意。両生類の一種の名。これは「かへる(蛙)」の別名でもあるわけですが「かじかがへる(河鹿蛙)」によってその別名として生まれ、「かへる(蛙)」の雅称のようになっていったということでしょう。この蛙は渓流に響き渡るような、まるで小鳥のようなその鳴き声が印象深い(『万葉集』の時代の「かはづ」は、蛙(かへる)を意味する一般名ではなく、「かじかがへる(河鹿蛙)」の別名でしょう)。『類聚名義抄』に「䳆 サキ(さぎ:鷺) カハツ(かはづ)」があるのですが、この「かはつ」は「かはつる(川鶴)」でしょうか。『和名類聚鈔』には「蝦蟇 唐韻云蛙 …和名賀閉流(かへる)」はあるのですが、「かはづ」はありません(『類聚名義抄』にも「かへる」はありますが「かはづ」はありません)。
「かはづ(河豆)鳴く清き川原(かわら)を今日見ては…」(万1107)。
「古池や蛙飛こむ水の音」(『春の日』(俳句・連句集):松尾芭蕉の有名なこの句の「蛙」は一般に「かはづ」と読まれているわけですが、これは一般的な「かへる」の雅称でしょう)。
◎「かへる(蛙)」
「くゎへりうる(くゎ謙り潤)」。「くゎ」と鳴いて謙(へりくだ)るように(そのような姿勢で)居(を)り濡れたようになっているもの、の意。両生類の一種の名。
「蝦蟇 …唐韻云蛙 …和名賀閉流」(『和名類聚鈔』)。
「兒毛知(こもち)山若かへるでの(和可加敝流弖能)もみつまで寝もと吾(わ)は思(も)ふ汝(な)はあどか思(も)ふ」(万3494:「もみつ(紅葉つ)」は紅葉することを意味する動詞。「もみぢ(紅葉)」を「かへるで(かへで)」と言っている)。「吾が屋戸にもみつかへるで(黄變蝦手)見るごとに妹を懸けつつ恋ひぬ日はなし」(万1623:その「かへるで」を「蝦手」と書いている。「蝦」は『説文』に「蝦蟆也」。「蝦蟆」は『廣韻』に「蛙 蝦蟆屬」。つまり「蛙(かへる)」。つまり、『万葉集』にも両生類生物を意味する「かへる」という語はあるということ)。