◎「~かは」

考え・疑問表明の「か」が「は」によって提示されている。「は」による疑問感の提示。それは、理解不能であること、そこに理解の及ばぬ意味や要因の働いていること、を言うことによる感銘表現にもなり(1)、抗議や、そうではない、という反語にもなります(2)。

(1)「はちす葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」(『古今集』:泥水にも汚れない清らかさで露を玉と欺くようなことが(なぜそんな美しいことが)起こる…(この事態はいったいなんなんだ、と疑問が提示されている))。

(2)「逢ふこともなみだに浮かぶわが身には 死なぬ薬も何にかはせむ」(『竹取物語』:「なみだ」の「な」には「なし(無し)」の「な」がかかっている。もう逢うこともないのに、永遠に生きられる薬が何の役に立つ(薬を何にする、薬が何の役に立つ))。「今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花のかげかは」(『古今集』:春は今日だけと思っていないときでも(昨日も春だったし明日も春と思っていても)そんな軽い気持ちで立っていられるか?花蔭に(立つことが簡単な花の蔭か?そうではないだろう))。

 

◎「かは(皮・川)」

「きはは(際端)」。主体たる何かの、他の何かとの限界域(際:きは)にある独立的存在部分(端:は)。「きは(際)」と「は(端)」はそれぞれの項。「かは(川)」は、それが人間活動における自然的境域(主体たる何かとしての限界域)、土地の境界、の印象があったことによる名。

「…虎(とら)とふ(と云う)神を 生け取りに、八(や)つ取(と)り持ち来(き)、その皮(かは)を、畳(たたみ)にさし…」(万3885:最後の「さし」は、原文は「刺」であるが、突き刺すような動態をするわけではなく、これは、作用挿入という意味で、「挿(さ)し」であり、畳(たたみ:敷物)という作用に挿入する→畳(敷物)にする)。

「皮 和名賀波 被也被体也」(『和名類聚鈔』)。

「松浦河(まつらがは)河の瀬光り鮎釣ると…」(万855)。

「天河 …和名阿万乃加八」(『和名類聚鈔』:『和名類聚鈔』に「川」という項目はない。「河 川也音何」という簡単な記述はある。「川」は誰にでもわかる簡単なことで書かなかったということか)。

「川 …カハ」「河 …カハ」(『類聚名義抄』)。

 

◎「がは(側)」

「がは(が端)」。「が」は、主格ではなく、所有・所属格の、助詞。「は」は部分域を表現し、それが対象たる独立域を表現する。「Aがは(Aが端)→A側」は、Aたる対象的独立域、その域たるもの・こと。「こちらがは(こちらが端):こちら側」。「追ふがはと追はれるがは」。