「かはにへ(『彼は…』に経)」。「かはにへ(『彼は…』に経)→かね」は、『彼(か)は…(あれは)』と遠くに思ひをはせるような経過動態にあることを表現する。

「千歳をかねて定めけむ奈良の都は…」(万1047:原文は「兼」の字が用いられていますが、千年ではないが千年を現わして定められた、という意味ではありません。千年に(永遠に)思いをはせて、ということ)。

「奥(おく:遠い先のこと)をなかね(加禰)そ(遠い先のことに思いをはせたりしないで、遠い先のことなど心配しないで)」(万3410)。

「一町かねて辺(あた)りに人もかけらず」(『大鏡』:この「かけり」は「翔けり」ですが、この「一町かねて」は、一町全体を、あれは…、と想うに、人の姿がない、という意味でしょう。数町かねて、や、一町のあらゆる部分域をかねて、なら、兼ねて、になる)。

「かねてお知らせしました通り…」(前もって将来あることを『あれは…』と思いをはせて知らせた通り)。

「きがねする(気がねする)」という表現がありますが、これは「気(キ)」において上記の「かね(予ね)」をする。「気(キ)にかける」にある程度意味は似ています。こうした用い方で「Aの心をかね」や「Aをかね」という言い方でAを想い・配慮し、Aに気がねしていることが表現されたりもする。「虎はまた、十郎が心をかねて衣ひきかづきうちふしぬ」(『曽我物語』:「虎」は大磯の遊女。その女性が十郎の心を思い衣を引き被(かづ)きうち伏した(客の待つ座敷へ出なかった)。これが、十郎にきがねして、の場合、座敷へ出たい思いはあるが十郎の「気(キ)」が同質的な制止圧力になって出なかった、という意味になります)。

 

昨日は「かね(兼ね)」で今日は「かね(予ね)」です。同音ですが別語です。「か」の意味が異なるのです。しかし辞書では一般に同語として扱われていて混乱すると思います。気をつけてください。