◎「かなへ(鼎)」
「かなへ(金器)」。「かな(金属)」は「かね(金):金属」の語尾がA音化しそうした情況のものであることが表現されたもの。おなじようなA音化は「さけ(酒)→さか(酒蔵:さかぐら)」「あめ(雨)→あま(雨宿り:あまやどり)」「むれ(群れ)→むら(群山:むらやま)」など、いろいろある。「へ(器)」はようするに焼き物・土器であり、「うつは(器:容器)」を意味する。「へ(器)」が器(うつは)や容器の汎称になる(→「へ(器)」の項)。その「へ(器)」が金属で出来ていれば「かなへ(金器・鼎)」。「なべ(鍋)」に関してはその項。
「大炊(おほひのつかさ)に八(や)つの鼎(かなへ)有(あ)りて鳴(な)る」(『日本書紀』:「おほひ」は「おほいひ(大飯)」。その「つかさ(司)」とは「つかさ(役人)」の食料に関することを担当する「つかさ(役所・部署)」。これは原文も「鼎」と書かれていますが、別に神器だの祭具だのというわけではなく、大釜(おほがま)。ただ、これは天智天皇崩御の際の記事なので、中国の「鼎(テイ)」に影響されつつこのような書き方がなされているのでしょう)。
「釡 古史考云釡 …和名賀奈閉(かなへ) 一云末路賀奈倍(まろがなへ) 黄帝造也」「鼎 説文云鼎 …和名阿之賀奈倍(あしがなへ) 三足両耳和五味之宝器也」(以上『和名類聚鈔』:「黄帝」や「宝器」と言ったことが書かれていますが、これは中国において「鼎(テイ)」は神器であり祭器であり宝器であり帝位を象徴するようなものであったことによる。基本的にはこれは煮炊き用の調理用具であり、それが神器になることは中国らしいといえば中国らしい。「三足両耳和五味之宝器」は『説文』にある「鼎」の説明をそのまま書いたもの)。
「鑊 加奈戸(かなへ)」「鬵 …釜属 倭云加奈戸」(以上『新撰字鏡』:『新撰字鏡』には「鑺 …戟屬也 兵也 加奈戸」なる項があります。「鑺(音 其(キ)俱切:『唐韻』)」は『説文』に「兵器也」と書かれる字。金属製の「戟(ほこ)」のような武器も「かなへ」と言ったのかもしれない。その場合の「へ」は、容器ではなく、道具、という意味になるのでしょう。「鬵」(音 徐林切(シン、や、ジン、のような音か):『廣韻』)に関しては『説文』に「大釜也」とある。「鑊(クヮク)」も大きな「かなへ」で釜茹での刑などにも使ったそうです。平安時代には宮中その他に「かなへどの(かなへ殿)」と呼ばれる施設があり、大釜で湯がわかされ、ここから小分けし調理だの、さらには沐浴のようなことにも、いろいろと湯が使われたらしい)。
「鍋 …ナヘ カナナヘ カナヘ」(『類聚名義抄』:ようするに、煮炊きの調理具を「なへ」とも「かなへ」とも言ったということ)。
一般に「かなへ」に用いられる漢字表記「鼎(テイ)」は『説文に』「三足兩耳,和五味之寶(宝)器也」と書かれるような字。つまり、煮炊き用具も(中国の)神器・宝器も日本では「かなへ」であり、「かなへ」は漢字では「鼎」とも「釜」とも「鍋」とも書かれたということ。「鼎(かなへ)の軽重を問う」という慣用的表現の「かなへ」は中国での王位の象徴たるそれ。「テイリツ(鼎立)」が何かが同時に三つ立つことを意味するのは三本足の「鼎(テイ)」が一般的だったから。ただし足のないものもあれば四本足のものもある。上記のように、足のあるものは「あしがなへ」、ないものは「まろがなへ」。足がついているのは、熱い湯の入ったそれを地や床においておいて転がると危険だからです。
◎「かなびき」(動)の語源
「かねはみひき(『予ねは…』見引き)」。「かね(予ね)」は遠くへ想いを馳せるような動詞ですが、『予ねは…』は、遠望していることは? 深謀・遠慮していることは? 遠くを思っているような、人に知られていないその意思や思いは? その正体は? のような意。「『予ねは…』見」は、それを見る(知る)ことのできるなにごとか。それを「ひく(引く)」とは、誘い出す、のような意であり、すなわち「かねはみひき(『予ねは…』見引き)→かなびき」は、その本心、その正体を知るためのなにごとかをすることです。刀の試し切りをすることも「かなびく」と言いますが、これも(外観からはわからない)刀の正体を知ることです。
「斎藤別当嘲笑つて、『まことにはをのをの(各人)の御心どもをかなびかんとてこそ(実盛(さねもり)は)申したれ、実盛も今度討死せんと思ひ切つて候ふぞ…』」(『平家物語』:前日、平家は敗色が濃いので源氏方へ走ろう、と誘うようなことが(実盛から)言われていた)。