文法で、願望の助詞、と言われる「~がな」です。「がああな」。「が」は所属を表現する助詞。「ああ」は感嘆発声。この発声は(たとえ具体化していなかったとしても)何かを想い何かに感嘆していること、何かを希求していることを表現します。「な」はそうした希求している自分の情況を認了しこの認了が詠嘆・感嘆の効果も果たします→「かな(助)」の項(昨日4月22日)。「Aがああな→Aがな」は、Aを想いAに感嘆する情況にあることが表現されています。そうした認了がなされている情況での動態が表現されたりもする。この表現は平安時代中頃から見られ、多く「Aをがな」という言い方をしました(1)。「Aがな」と言った場合、Aが動態であることもある(2)。また、希求してはいるのですが、単に何かの推想提示がなされている程度の場合もある(3:推想的に何かを想っていることはそれを願望していることの表現にもなる)。(情況や動態の)提示による単純な感動、といったものもある(4)。

 

(1):「『馬をがな』と願ひ惑ひけるほどに、この馬を見て、『いかにせん』と騒ぎて…」(『古本説話』:『馬があれば…』と願いまどいていた丁度そのときに…、のような意)。

「『かの君たちをがな。つれづれなる遊びがたきに』などうち思しけり」(『源氏物語』:かの君たち(この場合は姫君)がつれづれなる遊び相手であれば…、ということ)。

「(巴御前が)『あはれよからうかたきがな、木曾殿に最後のいくさして見せ奉らん』とてひかへてかたきを待つところに…」(『平家物語』:「あはれ」は感嘆発声。「かたき」は、戦う相手、ということ)。

(2):「早ふいね(寝ね)がないね(寝ね)がなともがけどいぬる(寝ぬる)気色もなく」(「浄瑠璃」:早く寝ないかと思っている)。

(3):「何がな取らせんと思へども、取らすものなし」(『宇治拾遺物語』:与える何かを想い不明のそれを希求している。不明な「なに(何)」が「ああ」な(もの))。

「私も連れがな欲しい」(「狂言」:「欲しい」で願望が表現されているが、「がな」はただ連れが推想的に提示されている)。

「定めて狂言に見とれてそれでがな遅いか」(遅い原因が推測的に提示されている)。「何事がな申して」(何か言って:言ったことが推想的に提示されている)。「幻にがな見えられたものでござらう」(原因事情の推想努力がなされている)。「なくもがな」「言わずもがな」。

(4):「もうあかんがな」(もう事態は開かれない、もうだめだ。関西系の表現)。

 

希求願望の表現に「~もが」もある。それによる「~もがな」の「がな」はこの「がな」ではありません。何かを希求し憬れるように想う思いは「~もが」の方が切実です(古い時代の希求表現に「~もが」があり、これが「~もがな」や「~もがも」になり、その「~もがな」の「も」がなくなったのがこの「~がな」だ、という人もいます)。