◎「かどり」(動詞)

「かずとり(数取り)」。要するに数えることですが、何かを全体の中の単位として把握することであり(→「かず(数)」の語源・3月4日)、何かを支配的に管理することを意味します。

「長門(ながと)より東(ひむがし)をば朕(われ)制(かと)らむ、筑紫(つくし)より西(にし)をば汝(いまし)制(かと)れ」(『日本書紀』)。

「數之曰『爾(いまし)…縱(ほしきまま)に檢校天子(みかど)の百姓(おほみたから)を檢校(かど)れり』」(『日本書紀』:「數之曰」は「かぞへていはく」とも「せめて(責めて)いはく」とも読まれています。「かぞへて」が古訓ですが、「せめて」という読みは動詞「かぞへ」の意味がよくわからなくなっていることによるものでしょう。これは何かやなにごとかを全体の中で価値評価することが原意なのです(後世では単位の総量を把握することが一般的な意味になります)。つまり、この「かぞへ」は、裁定し裁判した。「數(数)」は『説文』に「計也」とされる語ですが、中国語に「責數其罪」といった表現はあります)。

「己が女(むすめ)を東人(人名)に放ち与へ、家財を主(かど)らしむ」(『日本霊異記』:「主 加止良之女」(興福寺本訓釈))。

 

◎「かどり」(動詞)

「かはととり(『彼は…』と取り)」。『あれは…』と取る(自分のものにする)ということであり、何かに目をつけたり、何かに気づいたりします。

「鬼魔のためにかどらる」(『名語記』:目をつけられ、のような意になる)。

「上(ジャウ)らふ(上臈)はおとこのくらゐくらゐにあしらふものなれば………ことばよりほかにいふまじきしなもいひ、いふべきわけをもわざといわずして、おとこにかどらせなどして………はじめのいつはりが、いまは上々のまことになりて………ただおとこのあほうがあがりたるものとしるべし」(『けしずみ』(これは、江戸時代の、昔は傾城たる太夫だったという「びくに」に話を聞いているという態の大衆向け読みもの))。

この語は「けどり(気取り)」(感づく、という意のそれ。「けどられ(気取られ)」が、魂を取られ・抜かれ、のような意になることもある)の変化と言われますが「け」がなぜ「か」になるのかがよくわかりません。