◎「かつゑ(飢ゑ)」(動詞)
「カツうゑ(渇飢ゑ)」。「渇(カツ)」は水が涸(か)れることや喉が渇(かわ)くことを意味しますが、ようするに、体力や生命維持のために必要なものが枯渇した状態であることを表現しました。慣用的に「かち」とも言います。「カツうゑ(渇飢ゑ)→かつゑ」は、存在不存在の限界的情況持続状態で食物が足りず衰弱していること。室町時代頃から活用語尾Y音も現れます。俗語的な印象を受ける語です。
「ゐ中之事ハうゑかつへ候て用之夫日伇之事さへ仕り〇候間」(『東寺百合文書(『大日本古文書(二・一七七)』)』「丹波大山荘一井谷百姓等申状」(日付・卯月一日):ようするに、飢えかつゑているのに夫役さえ負わされ、と窮状を訴えている)。「かつゑじに(餓死)」。
「山寺のそう(僧)、したしき(親しき)だんな(檀那)にあふて申さるるは、此程は久しく若衆にかつへ、めいわく(迷惑)いたすとかたる」(『きのふはけふ物語』:「きのふはけふ」は「昨日は今日」)。
◎「かて(糧)」の語源
「かたゑ(片餌)」。完全性の無い不完全な印象の食べ物。通常の日常的な食べ物ではなく、あり方として完全性のない食べ物。非常時に食べるもの。非常食(安全保障食、という意味にもなる)。旅に携帯した食べ物、非常時や旅用の保存した食べ物、保存食、も「かて(糧)」と言います。困難な状態にありながらも自分をささえるもの・こと、という意味でも用いられます。
この語は一般に「かりて」が語源、あるいはそれと同意語、と言われます。「かりて」は「常知らぬ道の長路(ながて)をくれくれといかにか行(ゆ)かむかりて(可利弖)はなしに」(万888:「くれくれと」は気持ちが暗くなっていくようであること)のそれということでしょう。この「かりて」は「かりたへ(仮耐へ)」でしょう。一時しのぎ、非常時をしのぐこと・もの。この「かりて」という語は、安全保障食、という意味にはなりません。
「ある時にはかてつきて草の根をくひものとしき」(『竹取物語』)。
「あらゆる経験を成長の糧(かて)として」(『竹沢先生と云ふ人』(1924~25)長与善郎)。