◎「かって(勝手)」

「カクて(覚手)」。の促音便。「ガクキ(楽器)→ガッキ」のようなもの。「覚(カク)」は、覚(おぼ)えている、知っている、悟(さと)っている、といった意味。「手(て)」は、やり方、方法、あり方、を意味します。すなわち「カクて(覚手)→かって」は、(自分や各自各々が)覚(おぼ)えている、知っている、悟(さと)っているやり方、方法、あり方、ということ。仏陀を「覚者(カクシャ)」と言ったりしますが、それの非常に俗な応用。「勝手」は当て字。

「あげ屋の内に部屋をかまへ……をし(押し)入れ、水や(屋)、くさり(鎖)の間、勝手よくこしらへ」(「仮名草子」:自分の使いやすいように工夫し作った。「くさり(鎖)の間(ま)」は茶室。茶釜を吊るす鎖が吊るされているから)。

「私は其の方の広い屋敷より、此の方の狭いやしきが勝手で御ざる」(「狂言」)。

「勝手知ったる他人の家」。「勝手が違う」(それに関し自分が知っているものやことではない)。「自分勝手(※)」。「勝手気まま」。「勝手にしやがれ」。

※ 「ブン(分)」は、割り当てられているもの・こと、であり、これが、役割、といった意味にもなるが、世の中全体のなかでの割り当てられている(部分的)立場・あり方(やりかた)、という意味にもなり、自(おのれ)が割り当てられている立場・あり方(やりかた)が世のすべての立場・あり方(やりかた)であるかのような動態状態であることが、つまり自(おのれ)の分(ブン)による覚手(カクて)であることが、「自分覚手(ジブンカクて)→自分勝手」。

 

◎「かって(勝手)」

女房言葉で銭金(ゼニかね)が「おあし(御足)」(世を歩き回るもの)。足で歩くものという意味でこれを「かち(徒歩)」。そして家の銭金(ゼニかね)に関すること、すなわち家計・生計・その方面の暮らし向きに関すること、それに密接に関わる台所に関すること、そして台所、が「かちて(徒歩手:(社会的に)徒歩(かち)の方向のもの・こと)→かって(勝手)」。「勝手」は習慣的当て字。

「勝手(かって)は煙(けぶり)立ちつづき、……女房は濃茶(こいちゃ)立て」(「浮世草子」『西鶴織留』:これは台所。もてなしのために竈に火が入りつづけている)。『日葡辞書』の「Catte(カッテ)」の説明に、茶の湯の道具をしまっておくところ、というものがありますが、これは、生計に関わる場を直接に銭金(ゼニかね)で表現することをせず、俗世からの遊離を表現したということでしょう。茶の湯の世界は禅の影響が強い。

「近年何商(あきな)ひも御座なく、勝手さしつまり…」(「浮世草子」『万の文反古』:家計たる生計が逼迫している)。江戸時代には「勝手迷惑」という語もあり、これは、勝手なことをされて迷惑だ、という意味ではなく、家計・生計が困難になること。

「かってぐち(勝手口)」(台所へ通じる側の出入り口)。

「先づ春まで(加兵衛を)手前に置き、草庵の粥などたかせ、江戸の勝手も見せ可申候(申すべく候)。四十あまりの江戸かせぎ、おぼつかなく候」(「松尾芭蕉書簡」:貝増卓袋(市兵衛:伊賀上野の芭蕉の門人)宛書簡・貞亨5年(元禄元年)9月10日。貝増卓袋の書簡を届けた加兵衛という人の仕事口の心配などしているようです。「江戸の勝手も見せ」は江戸の生計の現実も見せ、ということか)。

 

上記両語は一般に同語とされているようです(辞書はそうなっています)。語源に関しては、「自分勝手」の方のそれに関しては語源説というようなものは無いようです。生計や台所の方のそれに関しては「かて(糧)」に関係するか、といったことが言われます。「かりて」(万888)が「かて(糧)」の古形だとも言われるのですが、古形ではないです。