「かつとへ(且と経)」。「かつ(且)」は何かを維持しつつ、維持して、の意(→「かつ(且)」の項4月5日)。「と」は助詞。思念的に何かが確認されます。「かつとへ(且と経)→かつて」は、認識や心情が(「つ」で)持続的にあることが(「と」で)思念的に確認される経過動態にある(経ている)、ということであり、維持している動態を経過し、維持しつつ、ということであり、何が維持されるのかというと、自己です。認識や心情たる自己。つまり、自己を維持しつつ、確かな自己として、何ごとかが言われる。そこで維持されるのは自分の過去(その経験、その人生経験による社会認識)、(今見聞きしている)現状、未来に関する意思・予想、といったことがすべて現れます。そして、それらが否定をもって言われれば、それが過去のことに関してなら、自分の全自我を維持しつつ、自分の全自我にかけて、ない、そういうことはけしてない、という意味になり、強力な、断固とした否定表現になる。これは漢字表記では「都て」「曾て」「嘗て」といった書き方をします。「都 スヘテ カツテ ……フツニ(ト)……ツフニ(ト)」(『類聚名義抄』:「ふつ」や「つぶ」に関してはその項。この「都」という漢字は、通常の読みは「みやこ」ですが、向かって右側は「邑(むら)」であり、左側の「者(シャ)」には全体が集まりを形成するような(表現としてはそこに意識を集中させるような)意味合いがあり、そんな風に人が住んでいるところが「みやこ」であり、意識や記憶内容がそうなればこの『類聚名義抄』に書かれているような意味になります)。
「押坂直(おしさかのあたひ:人名)…菟田山(うだのやま)に登(のぼ)りて、便(すなは)ち紫(むらさき)の菌(たけ:きのこ)の雪(ゆき)より挺(ぬけで)て生(お)ふるを看(み)る…………明日(くるつひ:あくるひ)往(ゆ)きて見(み)るに、都(かつて)不在(なし)」(『日本書紀』:(あるはずであったのに)たしかに『無い』と言える状態で『無い』。まったくない。これは現状認識に関して)。
「如来 在昔(むかし)曾(かつて)此(ここ)に処(ましま)して法を説き…」(『大唐西域記』:確信的に、確かにここにいて…。これは過去に関して。そして否定をともなっていない)。「かつてここに大きな都があった」(これも過去に関してであり、否定をともなっていない)。こうした用い方の「かつて」は過去を表現する語、という印象を受けるわけですが、それは、過去とは何か、の問題であり、過去とは記憶の再起、自我再起なのです。「かつてあった」は、自我再起としてあった。再起自我が維持されつつあった。
「…かつても知らぬ恋もするかも」(万675:確かにこんなことは知らない、いまだかつてない、恋。これは今までの自己の経験に関して。そして否定をともなっている)。「いまだかつて聞いたことがない」。
「木高(こだか)くはかつて木植ゑじほととぎす来鳴き響(とよ)めて恋まさらしむ」(万1946:木高(こだか)い状態で木を植えることなどけしてしない(ホトトギスが来鳴きて恋心をまさせるから)。これは未来へ向けての自己の意思に関して。そして否定をともなっている)。
「御自害のこと曾(かつ)て有べからず」(『太平記』:そういうことはけしてあってはならない。これは未来への予想・意思に関して)。