◎「かづき(潜き)」(動詞)
「かていきつき(克て息吐き)」。「かつきつき」のような音が最初の「き」が無音化しつつ「かづき」になった。「かて(克て)」は維持すること(「かち(勝ち)」(4月2日参照))。「つき(突き・築き・吐き)」は射るような動態で何かに作用すること。「かていき(克て息)」は限界まで維持している、耐えている、息。「かていきつき(克て息吐き)」はそれを吐(は)くこと、それまで体内に溜め限界まで呼吸を止めていた息を一気に吐くこと(潜水していた者が水面に浮上しそうする)。これが呼吸せずに何かをしていたことを表現し、体験的に、潜水していた(いる)ことを意味した。たとえば「海にかづき(克て息吐き)」によりそれが表現されます。これにより、海に潜水しそこで何らかの動作や作業を行っていることが表現される。
「池の放ち鳥 人目に恋ひて池にかづかず」(万170)。
「鳰鳥(みほどり)のかづき息づき」(『古事記』歌謡43:「鳰鳥(みほどり)」は「鳰鳥(にほどり)」。「に」と「み」は交替します)。
「櫛川(くしかは)の島崎(しまさき)より金崎を差(さし)て游(およぐ)者あり。海松(みる)・和布(わかめ)を被(かづ)く海士(あま)人か、浪(なみ)に漂ふ水鳥かと、目を付(つけ)て是(これ)をみれば…」(『太平記』:これは、そう書いてはあるが、「かづき(被き)」ではなく「かづき(潜き)」。Aをかづき、でAを目的として水に潜っていることが表現されている(海女の潜水作業を「かづき」と表現することにより、「かづき」が海女の作業のような作業をすることを意味する状態になっている(つまり、この「かづき(潜き)」は他動表現ではないということ)))。「かづけども浪のなかにはさぐられで風吹くごとにうきしづむたま」(『古今集』)。
◎「かづけ(潜け)」(動詞)
「かづき(潜き)」の他動表現。水に潜(もぐ)らせること。水に潜らせるという他動表現の必要性は事実上ほとんどありませんが、鵜匠が鵜を操り魚を採らせることは「かづけ(潜け)」という。「…上(かみ)つ瀬(せ)に鵜(う)を八頭(やつ)漬(かづ)け…」(万3330)。
◎「かづき(被き)」(動詞)
「きあてひき(着当て引き)」。着るように身に当て(身から離れないように)引いていること。「寒(こご)ゆる時に曳(ひ)き蒙(かづ)く綿端」(『東大寺諷誦文稿(フウジュブンコウ)』)といった言い方をします。また、古くは、儀式の場で朝廷から褒賞として布その他を賜(たまは)った場合、それを肩にかけるなどし身に帯び喜びを表現しつつ引き下がった。これも「かづき(被き)」という(この場合はそれによって身を覆えば覆うほど褒賞に包まれた喜びの表現になりそうである)。逆に言えば、褒美をあたえることは他動表現で「かづけ(被け)」。身全体を覆ってしまうような印象の衣装風俗は「きぬかづき(衣被き)」。後には、これは「かつぎ(担ぎ)」との混同もったようです。肩に掛けたりすることは確かに「かつぎ(担ぎ)」に動態が似ています。
「火影に、頭つきはいと白きに、黒きものをかづきて、この君のふしたまへる」(『源氏物語』)。
「夜に入りて、楽人どもまかり出づ(退出した)。北の政所の別当ども、人びと率ゐて、禄の唐櫃に寄りて、一つづつ取りて、(楽人たちに)次々賜ふ。(楽人たちが)白きものどもを品々かづきて、山際より池の堤過ぐるほどのよそ目は、千歳をかねて遊ぶ鶴の毛衣に思ひまがへらる」(『源氏物語』)。
◎「かづけ(被け)」(動詞)
「かづき(被き)」の他動表現。何かを身に被(かぶ)らせること。何かを身に被(かぶ)らせるということもあまり応用はありませんが、古く、権威者が褒美として何かを与えることを「かづけ(被け)」と言った。何かに責任を追わせたり何かの責(せい)にしたりすることを「かづけ(被け)」ということもあった。罪や責任を負(お)わせる、のような表現です。「かづけ(被け)」は「かぶせ(被せ)」に意味が似ているわけであり、「罪をかぶせ」といった言い方は後世にもある。
「まとゐする身に散りかかる紅葉葉(もみぢば)は風のかつくる錦(にしき)なりけり」(『伊勢集』:「まとゐ」は「円居」であり、複数の人で寛(くつろ)ぐように居ること。ちなみに、この作者は平安時代の女性)。
「県(あがた)へゆく人に、むま(馬)のはなむけせむとて………女の装束かづけむとす」(『伊勢物語』:「むま(馬)のはなむけ」は別れの挨拶であり、餞別をあげたりする)。
「鱸(ロ:日本名「すずき」)を思(おもふ)と云てかつけて帰そ。……托鱸(鱸に托(たの)め:鱸を(読む人々に)あてにさせ)帰ると云はいやなそ 直に鱸魚かくいたさ(食いたさ)に帰ると云わるるよきそ」(『四河入海』(シガニッカイ):漢詩の注釈書)。