◎「かたち(崇ち)」(動詞)
「かはたち(『彼は…』立ち)」。「たち(立ち)」は発生感を表現します。「Aをかたち」と言った場合、「を」は状態を表現し「Aを立ち」はAの状態で発生感が生じ、それは『彼(か)は…』と遥か彼方に思いを馳せるような状態でそうなっています。『彼は…(あれは…)』と何かに心を奪われたような状態になっている。この「かはたち(『彼は…』立ち)→かたち」は、突発的、一時的な没頭が起こっていることを表現する。心を奪われたように何かに没頭しています。これは『日本書紀』の訓みにある表現。他動表現「かたて(『彼は…』立て)」(下記)もあり、「いはひ(祝ひ)」のついた「かたちはひ」(下記)という動詞もある。
「馬子(うまこ:人名)独(ひと)り仏(ほとけ)の法(みのり)に依(よ)りて、三(みたり)の尼(あま)を崇(かた)ち敬(ゐや)ぶ」(『日本書紀』)。
◎「かたて(崇て)」(動詞)
「かたち(崇ち)」の他動表現→「かたち(崇ち)」の項。何かに心を奪われ憧れたような状態になり、それを特別に尊重したり大事にしたりする。
「皇祖(みおや)高皇産靈尊(たかみむすひのみこと)、特(おぎろ:広大)に憐(めぐしとおもほす)愛(みこころ)を鍾(あつ)めて、(天津彥彥火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を)崇(かた)て養(ひだ)したまふ(養い育てた)」(『日本書紀』)。
◎「かたちはひ」(動詞)
「かたちいはひ(崇ち祝ひ)」。動詞「かたち(崇ち)」はその項(上記)参照。何かに憧れ心をうばわれたような状態になってこれを祝(いは)ふ(それと神的、あるいは神的な印象を生じるほどの、関係になる(下記※))ことですが、その心の奪われ方に片寄った印象があったり、それが一時的な印象のものであったりすることが多い(ただし常にそのような印象で言われるとは限らない(その陶酔的没頭が称賛的に言われることもある))。
「(群卿(役人たち)が)或(ある)いは懈怠(おこたりて)理(ことわ)らず、或(ある)いは阿黨(かたちは)ひて曲(ま)ぐること有(あ)らば訴(うた)へむ者(もの)以(も)て鍾(かね)を撞(つ)くべし。是(これ)に由(よ)りて、朝(みかど)に鍾(かね)を懸(か)け匱(ひつ)を置(お)かむ」(『日本書紀』:役人が理(ことわり)を正すことをしない、或いは偏向して理(ことわり)を曲げる)。
「善きかな大部(おほとも)の氏、仏を貴び、法に儻(かたちは)ひ、情(こころ)を澄(きよ)くし、忠(まこと)を效(いた)す」(『日本霊異記』)。
※ 「いはひ(祝ひ)」は去年(2020年)の2月に触れたのですが、原意は、神聖感のある、人智の及ばない経験経過情況が動態感をもって作用すること、です。
◎「かたづき(かた付き)」(動詞)
この動詞は「つき」が「勢いづく」のそれのように「~の状態になる」という意味ですが、「かた」が「方・型・形」の場合(A)と「片」の場合(B)があります。ただし、慣用として、漢字表記ではどちらも「片付き」と書く。この他動表現に「かたづけ(かた付け)」がある。
(A)「「型」の状態になる、~らしくなる→期待された型(あり方)になる」という意味。家の中や乱雑だった荷物がかたづいたり、娘が結婚してかたづいたりするのはこれ。
「公家共ぶけ片付(かたづか)ぬばうじゃく(傍若(無人))のおこのもの(をこの者:愚か者、のような意)すすみ出て申す…」(「浄瑠璃」『暦』(井原西鶴):これは、片づかぬ、と書いてありすが、形(型)づかぬ(ここでは、気がすまぬ、ということか)、の意)。
(B)は偏向的に何かに寄ること。
「一遍にかたづく事もなく、一方へ片寄ることもなし」(『中庸抄』)。
「谷かたづきて家居せる君が(ホトトギスの声を)聞きつつ告げなくも憂し」(万4207:私はそうではないのにあなたはもっぱら(ホトトギスの鳴く)谷寄りに家居している、のような意)。
◎「かたづけ(かた付け)」(動詞)
「かたづき(かた付き)」の他動表現。「かたづき(かた付き)」の状態にすること。