◎「かた(肩)」
「きはつるは(着端吊る端)」。H音R音は退化し「かつは(かとぅは)」のような音を経つつ「かた」になった(古代では子音は現代よりも明瞭であり、「つ」は現代のそれよりも「トゥ」に近い音(オン)でしょう)。「は(端)」は部分的(それとしてある独立的)平面域を意味しますが、「きは(着端)」は人が身に帯びる(着る)部分的(それとしてある独立的)平面域。たとえば一枚の布―それが吊られ人がそれを着た状態になる身体部分域、それが「きはつるは(着端吊る端)→かた」。古代のいわゆる貫頭衣(中央に開けた穴から頭を出して着る単純な衣服)は身体のその部分に布が吊られることにより着た状態になる。動物の皮を身に巻く、あるいは着る、といったことは相当に古い時代から行われてはいるでしょうけれど、「かた(肩)」が衣類を着ることに由来する語だとするとこの語の起源は相当に古いです。どこからどこまでが身体部位としての「肩(かた)」かに関しては、人の腕と胴体接合部上部とそこから首の付け根にかけて、と言われるのが一般です(医学上の定義はまた別にあります)。
この「かた(肩)」という語は、人間の自然な生活動態に由来し、荷(比喩的には負担や労苦)を負う部位という印象が強い。「Aに肩入れする」という表現がありますが、荷を負っているAのその荷を負っている状態に自分の肩を入れ、ともに負う状態にする。つまり助力・援助する。「Aの肩を持つ」は、荷を負っているAのその肩の状態を自分も持つ。すなわち自分も荷を負う状態になる。すなわち助力・援助する。どちらもAが負っている荷をAとともに負うこと、Aに助力、Aを援助、すること、を意味し、似たような表現ではありますが、「肩入れする」場合はその動態は一回的印象が強く、「肩を持つ」場合は常態的にその状態になる印象が強い。
「木綿手次(ゆふだすき)肩(かた)に取り懸け」(万3288)。
「肩 …和名加太」(『和名類聚鈔』)。
◎「かた(潟)」
「かたえはら(片江原)」。語尾の「はら」は母音を残しつつ子音は退化し「かたは」のような音(オン)になりつつ「かた」になった。「かたえ(片江)」とは、半分の完成感しかない海、のような意味であり(→「かた(片)」の項・この語に関しては明後日3月14日の予定)、潮が満ちれば海になり、引けば陸になるようなところ、ということ。「かたえはら(片江原)→かた」はそうしたところの広がり域、の意。万3878に「熊来乃夜良(くまきのやら)」という表現があり、「熊来(くまき)」は地名ですが、「やら(夜良)」は、語義未詳とされますが、「えはら(江原)」でしょう。H音は母音を残しつつ退行化し「やら」になった(「え(江)」はY音)。「えはら(江原)→やら」は、「え(江)」の広がり域、の意(つまり海です。万3878ではこの「やら」に斧を落としたと言っています(さらに、浮かんでくるかと思って見ていたと言っています))。この「やら」という語が影響しているとすれば「かたえはら」は「かたやら」になります。語尾のR音は退行化し「かたや→かた(潟)」ということ。「ひ(干)」がついた「ひがた(干潟)」という語もあります。浜(はま)を「かた」と表現することもあった。
「潮干(しほひ)のかた(可多)に鶴(たづ)が声(こゑ)すも」(万3595)。
「塩かまの浦のひかたのあけほのに…」(『続古今和歌集』)。
「潟 ……加多」(『和名類聚鈔』)。「滷 ……濱也……加太」(『新撰字鏡』:「滷(ロ)」の原意は、ようするに、塩水)。