◎「かしこみ(畏み)」(動詞)
「かしこし(畏し・賢し)」(2月28日・昨日)の語幹による動態表現。つまり、「かしこし(畏し・賢し)」という思いの動態になること。形容詞語幹と活用語尾M音による動態表現は、「かろみ(軽み)」とか「かなしみ(悲しみ)」とか、よくあります。
「猪(しし)の病猪(やみしし)の唸(うた)き恐(かしこ)み(加斯古美)」(『古事記』歌謡98:「うたき」は唸(うな)ること)。
「(大君にめされたある女性が)その大后(おほきさき)の嫉(ねた)みを畏(かしこ)みて、本(もと)つ國(くに)に逃(に)げ下(くだ)りき」(『古事記』)。
「富士の嶺(ね)を高み恐(かしこ)み天雲もい行きはばかりたなびくものを」(万321)。
「かしこみて仕へまつらむ。拝(をろが)みて仕へまつらむ」(『日本書紀』)。
◎「かしこまり(畏まり)」(動詞)
「かしこみ(畏み)」の語尾A音化によりそうした情況になることを表現した動詞。原意的には、「かしこみ」が自動表現、「かしこめ」が他動表現、それを情況化し「かしこめ」の情況にあることを表現した自動表現が「かしこまり」。「しめ(締め)→しまり(締り)」「ため(溜め)→たまり(溜り)」のような変化。なぜそのような表現をしたのかというと、そうなったと表現するよりも、そういう情況に包まれていると表現した方がその動態が自発的に自然に現れているように表現され、相手にそうされたのではなく自然にそうなった、と相手への柔順性がより強く表現される。つまりこれは「かしこみ(畏み)」の謙譲表現になります。意味は、客観的に、「かしこし(畏し)」と思っている動態になること。自己委縮となにごとかやなにものかへの尊重や敬いが同時に現れます。
「是(ここ)を以(も)て、諸(もろもろ)の僧尼(ほふしあま)惶懼(かしこま)りて、所如(せむすべ)知(し)らず」(『日本書紀』)。
「鄭に滑を伐(う)つ事をやめよと請(こは)れたれば、かしこまりたとは云わいで…」(『史記抄』:これは承諾の意思表明になり、のちには「かしこまりました」が慣用的な一般的な言い方になります)。
◎「かしこじもの」
「かしこむししじもの(畏む獣じもの)」。「むししじ」が「じ」の一音になっているわけです。「~じもの」は、~のような状態で、の意であすが、その項で。「かしこむししじもの(畏む獣じもの)→かしこじもの」は、畏(かしこ)まる獣でもあるかのような状態で、の意。
「恐(かし)こじもの進退(しじま)ひ匍匐(はらば)ひ廻(もとほ)り、白(まう)し賜(たま)ひ受(う)け賜(たま)はらく…」(『続日本紀』宣命:「しじまひ」は動態が委縮したようになること。「もとほり」はまるで同じところを廻(めぐ)っているかのようになること。この宣命では「負圖龜(ふみおへるかめ)」なるものが現れ、献上され、「天平(テンピャウ)」(729-749)に改元すると言われています(この時代、不思議な亀が現れて改元という例は他にもあります)。聖武天皇の時代です。730年ごろ世界ではどんなことが起こっているかざっと見てみたのですが、西アジアでは「サラセン」とも言われるイスラム勢力がアフリカ大陸北辺域から後のスペイン・ポルトガルの域へ勢力を拡大しています。西ヨーロッパはゲルマン系の「フランク王国」の時代ですが、「サラセン」と戦争をやったりしています。ヨーロッパの東では「東ローマ帝国」で偶像を拒否する「聖画像問題」が起こっています。中国は唐の玄宗皇帝の時代。『万葉集』で有名な大伴家持もこの730年ころ生きています。柿本人麻呂はその少し前、724年に亡くなっています)。