◎「かざり(飾り)」(動詞)

「かしはり(遥し張り)」。「かし(遥し)」はその項(下記)参照。「はり(張り)」は「声を張(は)り」のそれのように、感づく情況になること(何かが感覚的に触れる情況になること)。「かしはり(遥し張り)→かざり」は、人々が『彼(か)は…(あれは…)』と見ることを思い、人々が感じとるようなことを行うこと。

「大殿をふりさけ見れば白たへにかざりまつりて」(万3324)。

他が思うであろう印象(つまり外観・外聞)を作るために何かをすること、さらには、内心を隠すためにそうすること、も言います。

「是(ここ)に、小鹿火宿禰(をかひのすくね)、深く大磐宿禰(おほいはのすくね)を怨(にく)む。乃(すなは)ち詐(かざ)りて韓子宿禰(からこのすくね)に告げて曰く…」(『日本書紀』)。

また、この「かざり(飾り)」は、他に関して(たとえば「花を飾る」なら「花」に関して)そうした現(あらは)しを行うことですが、他に対して、世一般に向かって、それをするのが「かざり(飾り)」の他動表現たる「かざし(飾し・挿頭し・翳し)」。「まはり(回り)自動→まはし(回し)他動」、「かはり(変はり・代はり)自動→かはし(交し)他動」のような変化。この「かざし」という表現は、古代以来古くからある「うず(髻華)」に関する表現にも入り、これが「かざし(飾し・挿頭し)」とも呼ばれ、この「うず(髻華)」を頭部あたりにつけることも「かざす」と表現し(というよりも、古代においては「かざし」という動詞はほとんどがそのために用いられたのかもしれません(この意味での「かざし」の語源は「かみさし(髪挿し)」と言われることが多い))、また、積極的に(程度の差はありますが増量感・優勢感をもって)情況との交流感を生じさせることも「かざす」と表現する(→太刀をふりかざす、手をかざす(手を翳す)、等)。ちなみに、上記の頭部に飾る「かざし(飾し・挿頭し)」は後世の「かんざし(簪:髪差し)」と混同されますが、「かんざし(簪)」の用途は髪留めであり、「かざし」とは異なります。

◎「かざし(飾し・挿頭し・翳し)」(動詞)

「かざり(飾り)」の他動表現→「かざり(飾り」の項(上記)。他動とはいっても、「かざり」が情況表現(ある情況を生じさせること)であるのに対し「かざし」は(何に対しそうした情況が生じる動態を行う)動態表現と言ってもいい。「かざり(飾り)」の項(上記)参照。

「鴬(うぐひす)の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ」(万3966)。

「梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり」(万820)。

「門毎(かどごと)に立つる小松にかざされて宿てふやどに春は来にけり」(『山家集』:これは、かざられて、と言っても、表現が客観的になるだけで実質的に意味は変わらない)。

「盛長もさすがにはづかしげにて、扇をかほにかざしけるとぞ聞えし」(『平家物語』:扇をかざす、という表現はよくありますが、効果としてそれにより日光が遮られ翳ができたりし、さらには、何かを隠すために手などをかざしたりもし、それが、掩(おお)う、隠す、を意味したりもします。「茀ト云うハ、外ヨリ見エザル様ニスルノ仕方ニテ、手ヲカザス扇ヲカザス抔(など)ト同(おなじ)ク、掩(おお)フノ意ナリ」(『武教全書注解』(『古事類苑・兵事部二十五』):「茀」は『廣韻』に「草多」とあり音(オン)は「フツ」)。

 

◎「かし(遥し)」

「かはし(『彼は…』為)→かし」という慣用的表現があったと思われます。これは『彼(か)は…』(あれは…)と遠くの何かを思う動態であることを表現する。「彼は…」は、人々が自分にそうする場合も、自分が何かにそうする場合も、どちらもある。これは独立の動詞としては現れませんが、それによって動詞その他が構成されます。たとえば「かざり(飾り)」「かざし(挿頭し)」「かしづき(傅き)」その他。