「かこと(託言)」「がまし」はそれぞれの項参照(「かこと(託言)」は昨日・2月14日)。「~がまし」は「おしつけがましい」などのそれであり、~であって悔やまれ残念な思いであることを表現します。「かことがまし(託言がまし)」は、「かこと(託言)」であって悔やまれる、の意。「かこと(託言)」には三種ありますが(→「かこと(託言)」の項)、「かことがまし」にもそれに応じた意味があります(「かごとがまし」とも言う)。

 

(以下、「a」や 「c」の意味に関しては「かこと(託言)」の項(昨日))

「つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかごとがましき虫の声かな」(『源氏物語』:a:過去の失敗や過ちを責めているような虫の声) 。

「心のままに茂れる秋の野らは、置きあまる露に埋(うづ)もれて、虫の音かごとがましく、遣(や)り水の音のどやかなり」(『徒然草』:c:虫の音がいかにもその権威を借りた(それほどの秋の情景ではないことの)言い訳のようで悔やまれ。つまり、虫の音が見る現実よりもさらに一層美しい風情ある秋を感じさせ)。

「『あはれいかにいづれの世にか廻り逢ひてありし有明の月をながめむ』とて、身をかへてばかりや、琵琶の音を聞かむなどぞ、事なく思ふには、さしも心に入らずおぼししことども、涙のみぞかごとかましうなりにたるや」(『浜松中納言物語』:ようするに、ああ…いかにどこかの世でめぐり逢って有明の月をながめるのだろう…、と来世に転生して琵琶の音を聞こうなどと、事もないことと思うに、それはそれほど深く心に入ることもなく思われることであり、ただ涙だけがかごとがましく(慰めごとがましく)溢れるのか(ほかに救いはないのか):これは言い訳系の「かごと」ですが、かりそめの安堵を得るための慰みごと、のような意味で用いられています)。