◎「かけ(鶏)」の語源
鳴声の擬音による名。これは鳥の一種の名ですが、その鳴き声は古く「かけろ」と表現されました。鶏(にはとり)の古名。「にはとり」という言葉も相当に古くからあります。
「にはとりはかけろとなきぬなり。おきよおきよ」(『神楽歌』酒殿歌)。
「庭(には)つ鳥(とり)かけ(迦祁)は鳴(な)く」(『古事記』歌謡2)。
以前、「あたへ(与へ)」の項で書いたものですが、一部再記します。
「…みどり兒の乞ひ泣くごとに取りあたふる物し無ければ鳥穂自物わきばさみ持ち…」(万210)。この元歌は長いものですが、この部分の第五句「鳥穂自物」は、直接に書くのはあまりにひどい表現になるので、鶏(にはとり)の鶏冠(とさか)を「鳥穂」と書いたものであり、それは鶏を意味し、読みは「かけ(鶏)」、すなわち全体は「かけじもの」でしょう。意味は、まるで鶏(にはとり)のように、ということ。抱き方がわからず、まるで鶏(にはとり)を抱えるようにみどり兒を脇に抱えたわけですよく似た「万213」には「男自物」とあるわけですが、これは元歌の意味が分からずそのように意解されたのでしょう。
◎「かけ(懸け・掛け・賭け)」(動詞)
「かき(懸き)」(1月25日)が下二段活用化した動詞。客観的な何かに自主動態的な交感を生じさせること。未知の事態や事象との意思的交感もあります→賭け・「私はこれに人生をかけている」「命がけ」。「布団をかけ」「気にかけ」その他、この動詞の応用も広いです。「かかり」のような、動態の交流感はあるが動態は始まっていない、あるいは動作未了の、状態も表現する→「行きかけて、やめた」「書きかけの原稿」。「かけはなれ(かけ離れ)」は、「かき曇り」などにある「かき(掻き(交き))」が語尾E音化しているものでしょう→「かき(掻き(交き))」(1月27日)の項。
◎「かけ(駆け)」(動詞)
情況に全体的に交感・交流感を生じさせることであり、その点は「かき(懸き)」(1月25日)と同じなのですが、「かけ(懸け)」が客観的な何かが自主動態的に交感を生じさせていることを表現することを基本にしながら語尾がE音化しているのに対し、「かけ(駆け)」は「か」の情況的な交流感自体がE音の外渉性により積極的な動態感が生じている。つまり「かけ(駆け)」は、情況に全体的にそして積極的動態感をもって交感・交流感を生じさせること。これは疾走感を表現し古くは馬で(馬が)走ることによく用いられましたが、後には人間が走ることにも用いられるようになりました。「A(馬)をかけ」「A(馬)がかけ」どちらの表現もあります。「馬はかけんと思はば、左手(ゆんで)へも右手(めて)へも…」(『平家物語』)。「ぬしもなき夏のの原のはなれ駒こころの儘にかけつ戻りつ」(『為忠集』)。「子供がかけていく」「かけっこ」。
◎「かけ(欠け)」(動)の語源
「きはきえ(際消え)」。月の際(きは)が消えることが起源の動詞。月の月たる部分が消えること。無くてはならない部分が消えること、なくなること。「かき(欠き)」(1月28日)で触れたのであとは省略。