◎「かくみ(囲み)」・「かこみ(囲み)」(動詞)

「かきふみ(垣踏み)」。「かき(垣)」は何かとの限界を明確にするものを意味し、「ふみ(踏み)」は実践すること。つまり「かきふみ(垣踏み)→かくみ」は、垣(かき)を実践することであり、何かに対し境(さかひ:他との限界)を実践すること。Aをかくみ、と言った場合、AにAと他との限界を生じさせることをする。つまり、Aを他から遮断する。これは後には「かこみ(囲み)」「かごみ(囲み)」が一般的な言い方になります(交替は両者が併用されつつ平安中期ごろと言われる)。また、京都では「囲」を「かごみ」と読み、関東では「かこみ」と清音で読んだとも言われています。それらは「かきをふみ(垣を踏み)」でしょう。

「若草の 妻も子供も 彼此(をちこち)に 多(さは)に囲(かく)みゐ(可久美爲)」(万4408)。

「巨勢德太臣(こせのとこだのおみ)ら、斑鳩宮(いかるがのみや)を燒(や)く。灰(はひ)の中(うち)に骨(ほね)を見(み)でて、誤(あやま)りて王(みこ)死(う)せましたりと謂(おも)ひて、圍(かくみ)を解(と)きて退(しりぞ)き去(さ)る」(『日本書紀』)。

「四重にかこめる軍をかけ破りて、圍(かこ)みの中を出でぬ」(『十訓抄』)。

 

◎「かぐやひめ(かぐや姫)」

「かげいやひめ(光彌姫)」。母音E音I音の連音がU音になっている。「いや(彌)」は、動態や情況の進行、その進行のレベルや規模、への驚嘆表現。その「かげ(光)」が「いや(彌)」である、その「かげ(光)」が無際限であり驚嘆すべきものである、姫(ひめ)、の意。「かげ(光)」への驚嘆として現れる姫。「かげ(光)」「いや(彌)」はその項参照(「いや(彌)」は下に再記)。言うまでもなく、『竹取物語』の主人公の名です。物語によれば、この名は三室戸(みむろど:京都府宇治市の地名)の齋部(いんべ)の「あきた」(たぶん人名)という人につけてもらったそうです。正式には「なよ竹(たけ)のかぐや姫(ひめ)」。光る竹の中に見つかったときは身長約三寸(約9センチ)。ずいぶん小さいですね。それが三カ月くらいで成人並みになったそうです。その後は、多くの男がこれに心を奪われ、求婚するのですが、かぐや姫は誰にも靡(なび)かず、突然、月の世界へ帰ってしまいます。かぐや姫がなぜこの世界へやって来たのかは謎です。物語には「昔の契(ちぎり)ありけるによりなん、この世界にはまうで来(きた)りける」と有りますが…。心奪う限りなくうつくしいものに出会いそれが何の意味もなくむなしく去ってしまうのは人の必然ということでしょうか。

『竹取物語』とは関係ないと思いますが『古事記』「垂仁天皇記」に「迦具夜比賣命(かぐやひめのみこと)」の名があります。

 

※「いや(彌)」再記

「い」は進行感を表現する。「や」は理解が成立せず驚くような発声。驚きの発声「え」と経過を表現する「ふ(経)」が融合すれば「ゆ」になりそこにA音の開放感が作用すれば「や」になる。歴史的にそのような言語表現を経て「や」になったと言っているわけではない。そうした音(オン)の語感作用が働いているということ。「いや(彌)」は、動態や情況の進行、その進行のレベルや規模、への驚嘆表現。

「いや重(し)け吉事(よごと)」(万4516)。

「いや遠長(とほなが)に」(万478)。

「いやがうへにも(彌が上にも)」(彌(いや)以上にも)。

「いよ(愈)」「いよいよ(愈)」は「いよいよ(愈)」の項。「いやいや(彌彌)」という表現も有る。