「こあけゐ(此明け居)」。「こあ」が「か」に「けゐ」が「く」の音になっている。「こ(此)」は現在性(現に在り、の性)・特定性を表現し(→「こ(此)」の項:「これ(此れ)」「この(此の)」などの「こ(此)」)、この「こ(此)」は、それを認識していること、現状認識にあることを表現する。「こあけ(此明け)」はその現状認識、現状に関する判断、が明けたこと、その全判断が終了し果てたこと、を表現する。「こあけゐ(此明け居)→かく」は、そうした現状認識、現状に関する判断が明けた状態にあり、の意。このように、に意味は似ている。
「くやしかもかく知らませばあをによし国内(くぬち)ことごと見せましものを」(万797)。
「かく立つ波に船出すべしや」(万1781)。
「かもがと我(わ)が見し子ら かくもがと我(あ)が見し子に…」(万1781)。
「かにかくに」は、想念化し得る「か」(→「か(彼)」の項)と現状認識の「かく(斯く)」の意→「かにかくに思ひわづらひ哭(ね)のみし泣かゆ」(万897)。
「とにもかくにも」は、思念的確認の「と」(助詞)にも現状判断の「かく」にも、の意。
「かくかくしかしか」は、現状すべてを把握し現状すべてを把握し、確かに確かに、の意(「しか(然)」はその項参照)。
「かくなるうへは」は現状を認識した以上…。此(こ)明(あ)け居(ゐ)にある上(うへ)は…
「かくて」は「かくとへ(斯くと経)」。こうした現状を経過し。