詠嘆・感慨的な助詞の「か」(→「か(助)」の項)として現れている「か」。この「か(彼)」が文法上の品詞分類として助詞だと言っているわけではありません。詠嘆・感慨的な助詞の「か」として現れているその「か」だということです。たとえば「かのひと(彼の人)」は、「『…か』の人」、「…」という詠嘆・感慨のある人、ということであり、その人が目の前にいれば、その人は遠い昔に会ったことのある人で、あの人か…、と感慨が起こる人であったり、目の前にいない人なら、簡単に現実に会うことは困難な遠い地の人であったりし、「かのち(彼の地)」は、時間的彼方の、遠い昔に行ったことのある地であったり、空間的彼方の、遠い地であったり、さらには、話に聞いただけの想の世界の地であったりする。そうした『…か』である何かが「か(彼)」。

「かの(彼の)」。「かれ(彼れ)」。「かなた(彼方)」。「かしこ(彼処)」。

「かにかく」「かにもかくにも」は想念的な「か(彼)」に現状的な「かく(斯く)」ということであり、思念的・想念的に何かを確認する「と」による「とにかく」「とにもかくにも」に意味は似ている。

「かもがと我が見し兒ら…」(『古事記』歌謡43:理想的想念的に何かを想い見ている)。

「かの木の道のたくみのつくれるうつくしきうつは物も…」(『徒然草』:うつくしきうつは物を想念的に思っている)。

「かはと見ながら(彼はと見ながら・川と見ながら)えこそ渡らね(けして渡ることがない(渡れない))」(『古今集』:彼(か)は、と、川(かは)、が掛かっているということ)。

「兎追ひし彼の山 小鮒釣りし彼の川」(唱歌『故郷』歌詞)。