◎「おや(親)」の語源

「おひうや(生ひ敬)」。「うや(敬)」は自らのあり方が弱まること。存在感が弱まること。「おひ(生ひ)」は育ち成長すること。「おひうや(生ひ敬)」は、自分に、自分の生ひによる(自分の育ちと成長に)存在感の弱まりのある人。どういうことかというと、その人がいなければ自分は育たなかったという決定的な、致命的な、自己の弱点(自己の無力な弱さ)を自己に作った人(自己にそれを知らせる人)。親は、何も食べさせないという極めて簡単な行為で生まれた子を殺すことはいつでも簡単にできたのです。しかし親はそうはしなかった。もしそうしていれば、子は居なくなり、その者は親(おや)ではない。すなわち、「おや(親)」という言葉は、直接には、子供を育て成長させた人を意味し、生んだ人は意味していない。ただし、それは生んだ主体は無意味ということではなく、発生それ自体、生命の誕生それ自体は人が関わったり関わらなかったりできることではなく、それを育てたり育てなかったりすることが人がなし得ることであり、腹の子を育てることも、すなわち産むこと(出産すること)もここでの「育ち成長すること」です。

 

「飯(いひ)に飢(ゑ)て臥(こや)せるその旅人(たびと)あはれ 親(於夜:おや)なしに汝(なれ)生(な)りけめや」(『日本書紀』歌謡104:これは、原文では「皇太子(ひつぎのみこ)と書かれるところの、聖徳太子の歌だそうです)。

「おほろかに心思ひてむなごとも(実体のない虚言でも)親(おや)の名断つな」(万4465:この「おや」は自分をこの世界に生み出した先祖一般のような意味で言っている)。

 

◎「おもわ(面輪)」の語源

「おもうは(面上)」。面(おも)の現れた表面。表情。

「望月(もちづき)の満(た)れるおもわに花の如(ごと)笑みて立てれば…」(万1807)。

「眞珠(しらたま)の見がほし御面……御面謂之美於毛和(「御面」は、みおもわ、と謂(い)う)」(万4169)。