これは音(オン)が「おぼえ(覚え)」になる語であり、「おぼえ(覚え)」の項(11月20日)でも少しふれました。

「おもほえ(思ほえ)」は、「おもひおほえ(思ひ生ほえ)」。「おもひ(思ひ)」はその項(12月17日)。「おほえ(生ほえ)」は「おひ(生ひ)」に受身・可能・自発の助動詞「え(終止形、ゆ)」がついたもの。この助動詞の動詞へのつき方は「ふり(降り)」(四段活用)なら「ふらえ(降らえ)」、「ね(寝)」(下二段活用)なら「ねらえ(寝らえ)」のようになるわけですが、「おひ(生ひ)」(上二段活用)の場合、「おはえ(生はえ)」にならず、なぜ活用語尾がなぜO音化し「え」がつくのかに関しては「おとし(落とし)」の項(10月21日:他動表現の場合の情況化と同じことが起こっている)。なぜこの場合の受身・可能・自発の助動詞が「れ(終止形、る):R音」ではなく「え(終止形、ゆ):Y音」になるのかは、それが主情的情況表現だから(客観的情況表現ではないということ)。つまり、「おもほえ(思ほえ)」の意味は、「おもはれ(思はれ)」に酷似した、とくにその自発、表現。先述のように、この動詞は音(オン)が「おぼえ(覚え)」になります。→「おぼえ(覚え)」の項。

 

「瓜(うり)食(は)めば子どもおもほゆ(意母保由)」(万802:思はれる)。

「逢(あ)ふことはたまのを(玉(魂)の緒)ばかりおもほえてつらき心の長くみゆらむ」(『伊勢物語』:この歌は「むかし、をとこ、はつかなりける(ほんの一瞬かいま見た)女のもとに」という前書きがある。あふこと(あなたに逢ったこと・将来逢うこと)はほんの一瞬(ほんの少し):玉の緒くらい)思われて、つらい心が会ふことを長く見る(長く思う(ずっと見ていた。これからも長く夢見る)のだろう:ようするに、一目見て以来あなたのことが忘れられずつらい思いをしている、ということ)。