何かを思いそれに寄ることですが、何かを思(想)い、思うそれの経験経過に、思うそれを経験経過することに、陶酔感・無条件受容を生じた情況であること。ある思いが起こり、その思いによって受容的な経験経過があります。受容的な経験経過が起こる思いさえ湧かなければ「思ひもよらぬ」。

・「これは、この世の中になだたる九の君(貴宮・あてみや(下記※1))なるべし、と思ひよりて見るに、せんかたなし」(『宇津保物語』:そういう思いが沸きそれを受容的に経験経過し)。

※1 『宇津保物語』の登場人物であり、源正頼の九女で絶世の美人といわれる。

・「うちほほゑみて宣ふ御気色を、心ときものにて、ふと思ひよりぬ」(『源氏物語』:(惟光が)うちほほゑんで言う源氏の様子を(そこにある思いや事情を)ふと察した)。

・「思依見依物有一日間忘念」(万2404(下記※2))。

※2 この万2404の原文は、たとえば「思ひ寄り見ては寄りにしものにあれば一日(ひとひ)の間(あひだ、あるいは、ほど)も忘れて思へや」といった読みがなされているわけですが、この原文の「忘」・「念」はそれぞれ縦書き原文、原文原稿「亡」「心」・「今」「心」の誤読・誤記でしょう。思ひより見よったものだから忘れない、という歌意は奇妙です。すなわちその部分の原文、原文原稿は「亡心今心」。全体は「思依見依物有一日間亡心今心」。読みは「思(おも)ひより見(み)よるものあり 一日(ひとひ)の間(ま) 亡(な)き心(こころ)なり 今(いま)の心(こころ)は」。意味は、思い心が奪われ、見て心が奪われたものがある。一日中、ない心だ、今の心は(心が、心臓が、無くなってしまったようだ。(私は)死んでしまったようだ。生きているという思いさえない(それほどあなたに心を奪われている):原文「物」たる「もの」は玉(たま)のようなものでししょうけれど、それはあなた、ということ)。