◎「おもねり(阿り)」(動詞)。
「おもにへり(面に謙り)」。表面に謙(へりくだ)る。「うら(心)」から敬いへりくだっているわけではない。
「然(しか)れども此(こ)の神、於大己貴神(おほあなむちのかみ)に侫(おもね)り媚(こ)びて、三年(みとせ)に比及(な)るまで、尚(なほ)し報(かへりごと)聞(まう)さず」(『日本書紀』)。
◎「おもはく(思惑)」
「おもひ(思ひ)」のいわゆるク語法表現。ク語法に関しては「おそらく(恐らく)」の項(10月6日)。思っている状態にあることが表現されるわけであるが、それにより、何かを思っていること、思っている何らかの内容があること、が表現される。「思惑」は当て字であるが、「思惑(シワク)」という漢語はあり、仏教用語としてはある種の煩悩を意味する。
「……一云 隠せども君をおもはく(思苦)止む時もなし」(万3189:思っている状態はやむことがない)。
「自ら思(おもは)く。『我が家に返りて家業を営まむよりは…』」(『今昔物語』)。
「惣じて、人には其分限想応のおもはく有(あり)」(「浮世草子」『日本永代蔵』)。
「…当道のおもはくはさにあらず。男女共におもひよりて、心をかくる貌(かたち)なり」(「評判記」『色道大鏡』:色道では、おもはく、は誰かに思いをかけることらしい)。
「ひとの思惑(おもはく)を気にする」。
◎「おもはし」(形シク
「おもひあひああし(思ひ合ひああし)」。「ああ」は感嘆発声。思いに合っていること、思いが満たされていること、への感嘆を表明する。
「夢まぼろしの世の中に、みにくきものを片時もみてなにかせん。おもはしき物をみんとすれば、父の命をそむくに似たり」(『平家物語』)。
思いが満たされていなければ「おもはしくない」(→「どうも最近事態がおもはしくない」)。
後世では、そう思われる、のような意でも言われる(「郵便局、裁判所を出た人、そうおもはしい人々が…」『星座』有島武郎:このような用い方をした場合、~とおぼしき、に意味が似る)。
「ものおもはし」というシク活用の形容詞もある。これは「ものおもひああし」であり、物思いにふけっている(ふける)状態、物思いしている状態、であることへの感嘆表明。「ものおもはしうわびしうなむ」(『宇津保物語』)。