末尾の「だに」は「せめて……だけでも」や「…だって」のような意を表す助詞(→「だに(助詞)」の項:「橋だにもわたしてあらば…(この川を渡れるのに)」)。「おもたかぶ」は「面高ぶる」であり、これだけで面の高ぶった、高慢そうな、態度、さらには、顎(あご)を上げて進む面の高ぶった馬、を表した(原文で「駄」(馬に荷を負わせることや荷運びの馬)の字が使われているのはそれゆえでしょう)。これは『万葉集』(万3098)の歌にある表現ですが、「おもたかぶだに(面高夫駄爾)乗りて来(く)べしや」は、高慢そうな馬にだに、高慢そうな馬にでさえ、乗ってくるだろう、ということであり、たぶんそのようなことを人に言われ、少しも理解しようともせず罵(ののし)られてばかりいればそうなるんじゃないの?と言い返しこの歌が歌われたのでしょう。この歌には原注があり、そこには、この歌は平群文屋朝臣益人(へぐりのふむやのあそみますひと)という人が伝えて言うには、むかし、紀皇女という人が高安王という人と密かに関係を持ち「責めらえし時に」この歌を作ったそうです。たぶん、関係を親に責められ、罵(ののし)られ続け、納得できずにいたとき、『お前はまるで面(おも)の高ぶった馬にでも乗っているようだ(素直さがない)』などと言われ、さすがにむっとして言い返したのでしょう。この語は一般に「おもたかぶだ」を名詞とし「語義未詳」とされています (「夫駄(ぶだ)」は夫役(ブエキ)の馬だ等、諸説ありますが)。
原文全文は。
「於能礼故 所詈而居者 𩣭馬之 面高夫駄爾 乗而應来哉(おのれゆゑ のらえてをれば あをうまの おもたかぶだに のりてくべしや)」(万3098:「𩣭」は「驄」の俗字であり、「驄」は『説文』に「馬靑白雜毛也」とあります。これは習慣的にそう書いているということであり、ずいぶん前に「あを(青)」の項でふれたのですが、「あをうま」は子馬でしょう。つまり、面(おも)の高ぶった生意気な子馬、ということです)。